ファンタジーな100のお題
シロー連作3
90 自由
AkiRa(E-No.633PL)作
2004/05


自由
〔執筆者あとがき〕


自由

今年も、残すところあと数日になろうとしていた。
自警団の仕事も区切りがつき、次の契約まではとりあえず休暇ということになる。
今回支払われた給金があれば、二人と一匹で年を越すのに少しくらいの贅沢は許されるだろう。
帰り道、ふと自然に浮かんだ考え。それに気付き、シローは一人苦笑した。

――俺も、随分と所帯じみたもんだな。
思えば、新年を誰かと一緒に迎えるなど何年ぶりだろう。
戦士となってから、ほとんどの時間を一人でずっと過ごしてきた。
ひたすらに強さを求めて、風の吹くままに大陸を旅した日々。
生と死の境目が曖昧だった日常。
つい半年ほど前まではそういう生活だったはずなのに、何故かそれがとても遠い昔のことのように思える。

「ここで、一緒に暮らさない?」
リンファンが、はにかみながら言った日のことを思い出す。今年の初夏のことだ。
迷いつつも、自分は頷いた。
一箇所に留まることに慣れない戸惑いから、最初は随分と家を空けたものだったが、徐々にその回数も減っていった。
ここしばらくは、街の外に出ていない。

現状に不満を感じているわけではなかった。
仕事を終え、家に帰り、恋人と飼い猫に迎えられる。
食事をして、他愛無い会話を楽しみ、猫と遊ぶ。
退屈とも感じるその平穏さが、安らぎであり幸福なのだと思った。

でも。何かが心に引っかかる。
正体はわからない。しかし、それは自分にこう問いかけるのだ。

――このままでいいのか?

内側に響くその声は、日に日に大きくなっている。


帰宅したシローを待っていたのは、リンファンの沈んだ表情だった。
「どうした」
「……トラがいなくなっちゃったの」
トラは、二人の飼っている猫の名前である。
どうやら、部屋の換気をしようと窓を開けた隙にそこから出ていってしまったらしい。
慌てて外に探しに出かけたが見つけることができなかったと、彼女は申し訳なさそうに語った。
「あいつも男だからな……そういう時期か?」
「ばか、人が真剣に話してるのに」
「それも自然の摂理だろう。怒るなよ」
シローの軽口にも、リンファンはただ睨むだけで反応を返さない。
今にも泣き出しそうなその様子に、彼は溜息をついた。
彼女の肩を軽く叩き、安心させようと笑ってみせる。
「わかった、俺が探してきてやる。
 まだ、そう遠くには行ってないはずだからな」
頷くリンファンを残し、シローは再び家を出た。


――参ったな。
その数刻後、シローは困り果てていた。
どうせすぐに見つかるだろうとタカをくくっていたのだが、甘かったらしい。
近所をくまなく探したものの、トラの姿は一向に見当たらなかった。
すでにあたりは暗くなってきている。もう、今日はこれ以上の捜索は無理だろう。
比較的寒暖の差が少ない地方とはいえ、やはり真冬の夜となるとそれなりに気温は下がる。
吐く息は白く、身体はすっかり冷え切っていた。
帰る前に一杯ひっかけようと、行きつけの酒場へと足を運ぶ。
年末だというのに、店内はいつも通りの賑やかさだ。
カウンターに腰を下ろし、米から醸造した酒に燗をしたものを注文する。
大陸では珍しいが、この店ではそれをいつでも呑むことができた。

酒で身体を温めつつ、ふと周囲に視線を巡らせる。
若い冒険者の一団が、その目にとまった。
全員、年齢はまだ少年の域を出ていないだろう。
真新しい装備に身を包み、冒険への憧れを口々に語っている。
自由さえあれば、できないこと何もない――彼らの瞳は、自らの可能性を一片たりとも疑ってはいなかった。

――おいおい、はやって死ぬなよ。

内心で苦笑し、再び杯を口へと運ぶ。その手が、急に止まった。
冒険の夢。トラもまた、それに憧れたのだろうか?
狭い家を飛び出し、果てなく広がる世界を見たくなったのではないか。
危険と引き替えにしてでも、自由が欲しかったのではないか。

そして――自身もまた、それを選んだ男の一人ではなかったか。
両親は商人として成功を収めており、放っておいても、将来は安泰のはずだった。
でも、どうしてもそれに甘えたくなかった。
商売は好きではなかったし、何よりも与えられたもので満足するのが嫌だった。
ならば、違う道を進もう。
十六歳の時、自分はそうやって家を出たのではなかったか?
剣を手に、誰よりも強くなろうと心に決めて。全ては、自由のために。

――俺は、どうしてここにいる?

酒はまだ半分以上残っていたが、シローはただ呆然と自問を繰り返すばかりだった。


結局、この日は一睡もしていない。
隣では、リンファンが安らかな寝息をたてていた。
シローの帰りを遅くまで待っていたためだろう、眠りは深く、ちょっとやそっとでは目を覚ましそうにない。
やや癖のある茶色の髪に縁取られた寝顔を、しばらくの間眺めていたシローだったが、やがて静かに身体を起こした。
服を着て身支度を整え、手早く荷をまとめる。

夜が明ける前に、出発しなくてはならない。
音を立てないように細心の注意を払いながら、彼は準備を進めていった。
もともとそんなに多くはなかったので、そう時間のかかる作業ではない。
瞬く間に、体勢は整った。

机の引出しから紙を一枚取り出し、ペンを走らせる。
――俺は旅に出ることにした。もう会うこともないだろうが、元気で――
手紙には、一文だけそう書いた。
理由を語るつもりはない。ただ、自分の意思で出ていったことだけは、伝える必要がある。

荷物を手に戸口に立ち、家の中を見渡す。
半年あまりを過ごした部屋。それは、主とともに彼を暖かく迎え、受け入れてきた。
サイドテーブルの上の花瓶には、シローがリンファンの誕生日に贈った花がまだ咲き続けていたし、戯れに作ってやったトラの玩具も、床の上に転がっている。
確かに、自分の居場所はここにあったのだ。
でも――同時にそれは、安らげる牢獄でもある。
それに気付いてしまった以上、これ以上甘えるわけにはいかない。
無言で別れを告げると、シローは振り返らずに家を出た。
昨夜のうちに調達し、近くに繋いでおいた馬にまたがり、歩を進める。

夜明け前の、冷涼で静謐な空気。
その中で彼はフロースパーの門をくぐり、街道へと出た。
次第に馬は足を速め、街はどんどん遠ざかっていく。
行く手を阻むものは何もない。俺は、自由だ。
剣のみを頼りに道を進む旅へと戻っただけ。何も変わっちゃいない――

ふと、頬を濡らす雫があった。
雨かと思ったが、遠く白みはじめた空には雲ひとつ見当たらない。
それが自分の涙と気付くまで、時間がかかった。

泣く理由はないはずだ。俺は、自分の意思でここにいる。
温もりよりも、自由を選んだ。それだけのことだ。
手綱を握り締め、顔は上にも下にも向けることはなく、声も上げずに。
真っ直ぐ前を見据えたまま、シローはわけもわからず涙を流し続けた。

もう戻らない日々――その残滓とともに、年は静かに暮れていく。
空虚な自由。それだけが、苦すぎる思いとともに彼の胸に残った。


〔執筆者あとがき〕

連作も佳境の第三弾。この中では、初めてシローの視点から描いています。
幸せに溢れていた『花束』のラストから一転して、寂寥感漂う物語となってしまいました。

当時、シローは二十一歳になったばかり。
誰しも、このくらいの時期にはさまざまな矛盾と葛藤を抱えているものですが……どうにも、彼の場合は極端から極端に走りすぎたようです。
こういった過ちと後悔を経験して、人は大人になっていくということなのでしょう。

リンファンとはここで別れることとなりましたが、連作はあと一話だけ続きます。
大切なものを自ら手放し、荒れるシローを待ち受けていたものとは……?