ファンタジーな100のお題 シロー連作4 88 亡霊 |
AkiRa(E-No.633PL)作 |
2004/06 |
亡霊 |
〔執筆者あとがき〕 |
亡霊 |
その仕事は、最初からどこか気に食わなかった。 依頼人は旅の商人と聞いたが、どうせまっとうな人間ではあるまい。 でなければ、冒険者ギルドに登録すらしていない自分に護衛など頼むはずがないからだ。 ――何度見ても、いかにもってツラしてやがる。 ベイロンと名乗った商人の顔を一瞥し、シローは内心で毒づく。 卑屈さと酷薄さを同居させたような笑みが、痩せぎすの面に張り付いている。 目がまったく笑っていないことといい、見るたびに不快感をもよおす顔だ。 本来ならば断るべき依頼ではあったが、路銀はもう残り少ない。 稼ぐ手段を選んでいる場合ではないのだ。 そもそも、きちんとギルドに登録をしておくべきだったのだろうが、今のシローにとっては、それすらもどうでもいいことであった。 恋人であったリンファンのもとを去ってからの三ヶ月。 自らの早計を悟るには、充分過ぎる時間だった。 安穏とした生活の中で、戦士としての牙が失われることを、彼は恐れた。 守るべきものの存在が、自分を一つの場所に縛りつけるのを、彼は拒んだ。 それが強さだと、信じて疑わずに。 ――しかし、やがて彼は知る。 所詮は、己の弱さに目を背け、逃げていただけであったということ。 その甘えをリンファンへと結びつけて、遠ざけたこと。 結果、愛する者を裏切り、深く傷つけたこと。 彼女がいかに自分の心を大きく占めていたのか、離れてから気付く皮肉。 すべては、もう遅すぎる。戻ることは許されない。 どんなに悔いても、シローは前に進むしかなかったのだ。 生きているのが精一杯で、その手段の正邪を気にかけている余裕などあるはずもない。 それが例え、もぐりの悪徳商人の護衛であっても。 目的の街は、すぐそばまで近づいてきていた。 幸い、今までの行程で剣を振るような機会は訪れていない。 投げやりな心情で依頼人の傍らを歩いていたシローだったが、人の気配を感じ取り、ふと警戒を強める。 白昼堂々とした、殺気まじりの視線。 敵であることに間違いはなさそうだが、こう簡単に気取られるようでは、おそらく大した相手ではあるまい。 剣を抜きつつ、軽く警告を発する。 「下がってろ」 乱暴な口調が気に障ったのか、ベイロンは微かに眉を動かしつつ、無言で後方へと退いた。 気に食わない男ではあるが、少なくとも、ここで余計に騒がれないことだけは有難い。 「いるのはわかってるんだ。とっとと殺してやるから出て来やがれ」 眼光鋭く、視線の感じた方角を射抜く。 まばらに生えた樹木の影から、フードを目深に被る人影が二つ、シローの前に飛び出してきた。 各々、手には小振りの剣を握っている。 扱い慣れていないのか、その構えはどこかぎこちなさを感じさせるが、武器を持っている以上は手加減は無用だ。 それに、剣を振るってさえいれば全てを忘れていられる。 今だけは、自らの残忍な衝動に逃避していたかったのだ。 ――だから、彼は迷わなかった。 無謀にも一直線に突進してきた刺客の姿を認め、その緩慢な攻撃を難なく弾き返す。 体勢を崩したところに、シローは容赦無く剣を振り下ろした。 斬撃が肩口から潜り込み、切り裂かれたフードが夥しい鮮血とともに宙を舞う。 その下から現れたのは、日に焼けた褐色の肌と、金の輝きを帯びた髪。 まだあどけなさの残る少年の顔が、血の塊を吐き出しながら自分を見つめていた。 徐々に光を失う双眸もまた、自らの血を映したかの如く赤い。 「――!?」 「お兄ちゃん!!」 驚愕に凍るシローの耳朶を、幼い少女の悲鳴が打つ。 降り注ぐ返り血の生暖かさと裏腹に、どこまでも冷たい汗が首筋を流れ落ちた。 「お兄ちゃん……お兄ちゃん!」 血の海へと沈んだ少年に、もう一人が駆け寄る。 フードが風にあおられ、露になったその素顔もまた、年端もいかない少女のものだった。 少年と同じ褐色の肌、そして金髪。おそらくは、実の兄妹なのだろう。 「……お父さんとお母さんの仇も、まだ討ってないよ……あたしを、一人にしないで」 もう答えることのない兄にとりすがり、地に伏して痛哭する少女。 無防備な身体を晒して泣き叫ぶその姿を前に、シローは剣を手にしたまま、一歩も動く事ができなかった。 少女が弾かれたように顔を上げ、立ち尽したままの彼を殺気の篭った視線で睨めつける。 「……人殺し!」 幼い喉から発せられる、怨嗟の絶叫。 「お父さんを、お母さんばかりじゃなく、お兄ちゃんまで奪うの!? あたしの家族を返して、返してよ!」 顔を涙で濡らし、嚇怒に顔を大きく歪ませて。少女は声を限りにして叫び続けた。 降り注ぐその一言一言が、容赦なくシローを打ち据える。 「何をしているのです?」 感情の篭らない、ベイロンの声。一瞬、何を言われているのかわからなかった。 「その娘も、わたしの命を狙ってきた刺客の一人でしょう。 それを始末するのが、あなたの役目ではないですか?」 ――この無力な娘までも殺せと? 理解した瞬間、シローの意識は激憤に塗りつぶされた。 「――っ!」 汗ばむ手で握り締めた剣。それをベイロンに向けようと振り返り――すんでのところで踏み止まる。 この男を斬ったところで、少年の命を断った事実は変えようもない。 あの少女にとっては、ベイロンもシローも、家族を奪った憎い仇なのだ。 かつて、これほどまでに自分を嫌悪したことがあっただろうか。 湧き上がる殺意を必死で押し殺し、奥歯を強く噛み締め、彼は依頼人へと顔を向けた。 「……剣の握り方も知らない、ただのガキだ。 放っておいたところで、あんたを守るのに支障はねえ」 ベイロンを視線で炯炯と射抜き、吐き捨てるように言い放つ。 そこに秘められた内心の動揺を読み取ったのか、彼は嘲弄の笑みを浮かべて淡々と答えた。 「――まあ、良いでしょう」 今は、全ての感情を廃さなければならない。 依頼人を促し、足早にその場を去ろうとするシロー。 「殺してやる……必ず、殺してやるからぁっ!!」 矢を浴びせるような少女の叫びが、シローの背中へ深々と突き刺さっていた。 数刻の後。月明かりが照らす街道を、一人呆然と歩くシローの姿があった。 ベイロンを街まで送り届け、すでに契約は終えている。 立ち寄った酒場にて、あの商人の黒い噂をいくつか耳にした。 悪徳商法で一家を心中に追いこんだだとか、老人の財産を根こそぎ奪っただとか、あげていけばキリがない。 あの兄妹も、そういった被害者のごく一部であったのだろう。 受け取った報酬で呑む気にもなれず、シローはすぐに街を出た。 ――人殺し! 家族を奪われた少女の叫びが、まだ耳に残る。 剣を手にして五年近く。戦いの中で、多くの人間を手にかけた。 そのこと自体に後悔はない。殺らなけらば殺られる、至って単純な理屈だ。 しかし――同時にそれは、死者の恨みを食らって生きることに他ならない。 改めて思い知る。またしても、自分は目を背けていたのだと。 剣の腕も上がり、旅にも慣れ、一人で何でもできると思いこんでいた。 実際は、何も理解してはいなかったのに。 リンファンのことも、命の重さも、剣を振るう意味さえ。 いつだって、気付くのは遅すぎる。 夜陰にまぎれて、獣の唸り声が複数聞こえた。 目を凝らすと、獰猛な野犬の群れが獲物を求め構えているのが見える。 闇に浮かび上がるその姿が、あたかも死者の亡霊の如く映った。 剣を抜き、シローは自らの妄想を振り払う。 ――奴らは死んだ。そして、俺は生きてここにいる。 憎まれ、謗られても。結局は自らの因果を背負って進むしかない。 苦しみもがいてでも、生きようと思った。 置き去りにした日々の温もりを、忘れないためにも。 決意とともに剣を握り、自らが生み出した過去の亡霊へと向き合う。 見て見ぬふりをしてきた弱さの結晶。それを、すべて打ち壊すべく。 喉を震わせる咆哮とともに、シローは野犬の群れへ飛びかかっていった。 |
〔執筆者あとがき〕 |
連作の完結編、リンファンと別れた後のシローの物語です。 本編の第2話などで語られてきた、彼が犯した罪の全貌でもあるのですが――いざ書いてみると、予想以上に後味の悪い結末となってしまいました。 武器を手にする以上、傷つけ、殺すことと無縁ではいられませんし、全ての戦いは自らの業を積み重ねていく行為に他なりません。 シローの場合、そのあたりの認識がまだ充分ではありませんでした。 剣の腕は上がっても、心の成長が少しばかり追いつかなかったということなのでしょう。 それゆえに、彼は重い十字架を一生背負うことになってしまったのですが……。 このエピソードは、良くも悪くもシローというキャラクターの根幹をなしています。 一見すると怖いものなしとも思える彼の強さの裏には、こういった人間としての葛藤や弱さが確かに存在するのです。 |
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