“手探りで進む者たち”
(The Fumblers)

第7話
因果は焔とともに(後編)
AkiRa(E-No.633PL)作
2004/06


1.越えるべき運命の来訪 5.冒涜と醜さと
2.真実は貫く槍となりて 6.縁を紡ぐ糸たち
3.生命と業の天秤 7.たった一つの赦し
4.死は、全ての終焉か?
〔執筆者あとがき〕


1.越えるべき運命の来訪

「ただいまですぅ。うにぃ、重かったですぅ〜」
『涼風亭』の扉が開くとともに、ローラの声が店内に響いた。
手には大きな袋を重そうに抱え、額にはうっすらと汗が浮かんでいる。
そのまま手近なテーブルにつくと、彼女は袋から何冊もの本を取り出し始めた。
「ああ、お帰りローラ」
スラーヴァが微笑とともに声をかけつつ、高く積み重なった本に目を丸くする。
「この本、全部読むのかい?」
「そうですよぉ。魔法ってぇやっぱり難しいんですねぇ」
「基礎理論の試験は受かったんだろう? なら、あとは実践だと思うよ」
「はいですぅ。頑張りますよぉ!」

最近、ローラは魔法の勉強を始めたらしい。
地図製作者としての夢は変わってはいないが、新しい事に挑戦してみたいのだという。
投擲の技能に加え、魔法での援護が可能になれば遠距離での戦力は格段に向上する。
魔術師への憧れも確かにあるだろうが、パーティにとっても悪い話ではなかった。
もともと頭が良く、勤勉な少女である。
呪文を学ぶために必要な魔術の基礎理論もすぐに覚え、いよいよ本格的に魔法を修得する段階へと進もうとしていた。
ヴィヴィオに言わせると、分厚い本を買い揃えるだけで魔法を極められるのならば誰も苦労はしないのだが……今は、それを指摘する元気は無い。
少し離れた席で、一人溜息をつくばかりである。
「ただいま〜」
再び扉が開き、今度はキャロラインが帰って来た。
「あ、おかえりですぅ。どうでしたぁ?」
今日は医師の資格を得るための試験で、結果もその日のうちに発表される。
合否を問うローラに、キャロラインは会心の笑みを浮かべた。
「ふふ。無事にお医者さんになれました」
「わぁ、おめでとうですぅ」
「これで、また夢に一歩近づいたわけだ。おめでとう」
「ありがとう」
口々に祝福する仲間たちと、少しはにかみながら応える彼女の様子を見て、ヴィヴィオの心はより深く沈む。
仲間の成功を祝ってやる余裕すらない自分。自己嫌悪が、ますます心の影を濃いものにしていた。

「――おう、受かったか」
二階の自室から降りてきたシローが、話を聞きつけて声をかける。
「ええ、何とか合格できました」
「そうか、良かったな」
「はい!」
キャロラインが嬉しそうに返事をすると、彼はカウンターに歩み寄って主人に声をかけ、キープしていた酒瓶を手に戻ってきた。
酒瓶を目の前で振りながら、悪戯っぽく笑うシロー。
「じゃあ、合格祝いといくか」
「もう、シローさんたら。まだ昼間ですよ」
そう窘めるキャロラインの瞳も、今日はどこか嬉しそうに細められている。
「いいじゃねえか、祝い事には酒って決まってるだろ」
シローは笑ってそう言ったものの、酒癖の悪いキャロラインに呑ませる気はないらしい。
酒瓶を持ったまま、離れた席にいるヴィヴィオの方へと近寄ってきた。
この時間、涼風亭の客はほとんどなく、空席の中に一人でいる姿はよく目立ってしまう。

「どうした少年」
「――どうもしねえよ」
「そうか」
故郷で幼い頃の記憶を取り戻して以来、ヴィヴィオは一人で塞ぎこむことがほとんどだった。
忌まわしい過去。失った家族。自分が一体何を求めているのか――心には常に疑念が渦巻き、出口のない迷宮を彷徨い続けている。
仲間に心配をかけることは充分にわかっていたが、それでも輪の中に入っていくことができない。普段通りに声をかけてくれるシローに対しても、必要以上に素っ気無い返事で応じてしまう。
それで気を悪くするような人間でないとわかっているだけに、余計に辛い。
「呑むか? たまにはオサフネ兄さんが奢ってやるぞ」
「いや、いい……」
酒瓶をテーブルに置いてグラスの用意を始める彼に、力なく首を横に振る。
今は、一人でいたい。
「――ちょっと、出てくる」
呟くような声とともに、ふらりと立ち上がるヴィヴィオ。
「ああ」
シローが、グラスに酒を注ぎながら応じた。
そんな彼の声を背に、暗澹たる気分のまま出口の方へと向かう。
前方で扉の開く音がしたが、ヴィヴィオはそれでも俯いたまま床を見ていた。

「――どこを見て歩いている?」
静かで重い、聞き覚えのある声。
「……え」
弾かれたように顔を上げると、久々に見る姿がそこにあった。
長い黒髪、長身で骨太の中年男性。
鋭い眼光を湛えた瞳が、呆然とするヴィヴィオを映す。
「何だ、久しぶりに会ったのに挨拶も無しか?」
挑むような口調。視線をそらしながら、声を絞り出すヴィヴィオ。
「……よぅ、師匠」
彼こそ、ヴィヴィオがこの世でただ一人師匠と呼ぶ人物――漂泊の錬金術師、ガウェイン・シュトラウスその人だった。
「おう、弟子」
弟子の言葉に、僅かに口元を歪めて答える師。
普段なら頼もしいはずのその姿は、なぜか不吉なものの運び手の如く目に映った。

2.真実は貫く槍となりて

「――さて、世間話も何だ。早速本題といくか」
ごく短い挨拶を終えると、ガウェインは適当な席へと腰を下ろした。
対面の椅子を指し、ヴィヴィオに座るよう促す。
「ここで……か?」
視界には、怪訝そうな顔で様子を窺う仲間たちの姿。
これから行われる会話の内容を考えると、少し位置が近すぎるように思える。
「不都合でもあるのか?」
眉一つ動かさずに、ガウェインが言う。
問いかけるような口調とは裏腹に、有無を言わせぬ圧力がそこに込められていた。
観念したヴィヴィオは、奥歯を噛み締めながらそれに従う。
できるだけ仲間の方を見ないように顔を逸らしながら、彼は重い口を開いた。
「……師匠」
「何だ、弟子」
「俺、この前――自分の村に行ったんだ」
逡巡の後、思い切って言葉を続ける。
師が自分の前に現れるのは、必ず何か用がある時だ。
詳しくは知らないが、ガウェインはヴィヴィオの故郷を滅ぼした盗賊と因縁があるらしい。
各地を旅して回る傍らで盗賊たちの行方を追っていた彼は、今までの例からすると不自然な点の多いヴィヴィオの故郷の襲撃に関して独自に調査を行っており、何かわかり次第、それを教えてくれると言っていた。
師が手に入れた情報が何であるにせよ、おそらく今のヴィヴィオにとって聞きたくない類のものであることは想像に難くない。
その“不自然さ”を生み出した原因の一端は、ほぼ間違い無く自分が担っているはずだったからだ。
こちらから話を切り出すことで、少しでも決定的な瞬間が訪れるのを引き伸ばしたかったのだ。
あわよくば、ガウェインが自らの苦悩を取り除いてくれることを期待したのかもしれない。

そんな心を知ってか知らずか、師は興味深げに顎に手を当てて言った。
「ほう。どうして、故郷だとわかった?」
ヴィヴィオの脳裏に、先日体験したことが蘇る。
胸をつく圧迫感。それに耐えながら、出来る限り平静を装って彼は答えた。
「色々と懐かしいものを見た。そしたら、思い出したんだ」
「あの日のこともか?」
核心をつく問いに、思わず声が震える。
「――ああ」
「そうか。それなら――話は早いな」
縋るような希望を砕くかの如く、師の声は痛みを伴う重圧を孕んで響いた。
「……!」
叱られるのを待っている子供のように、頼りない感覚がヴィヴィオの全身を支配する。
そんな彼を眺め、ガウェインの眼光がさらに鋭さを増した。
「何を、そんなに驚くことがある?」
「いや……」
「お前が、今考えていることを当ててやろう。
 取り戻した記憶が、全て嘘であって欲しい――違うか」
「……」
全くもって、その通りだった。
二の句が継げないでいるヴィヴィオに、師の言葉が鋭利な刃と化して浴びせられる。
「甘えるな」
びくりと、身体が大きく震えた。頭の後ろが、氷のように冷たい。
「真実は常に一つだ。俺は常に、そう教えてきたはずだがな」
一切の感情を排したガウェインの声が、ヴィヴィオから逃げ場所を奪い取っていた。
先ほどまで抱いていた一抹の希望は、今や無限へ続く絶望へと変わりつつある。

「それとも、仲間に知られるのが怖いのか? 自分が、家族を皆殺しにしたことを」
「――!!」
師が発した決定的な一言。
店中に響く大きな音を立てて、椅子が勢い良く床に倒れる。
血の気の失せた顔で呆然と立ち尽くすヴィヴィオを、ガウェインは眉一つ動かさずに眺めていた。
「どうやら、図星だったようだな」
鷹を思わせる視線を向けたまま、何事も無かったかのように言葉を続ける。
「いいから座れ。その女々しい根性、叩き直してやる」
「俺が殺したんじゃぁ……ない」
消え入りそうな声で、弱々しく抵抗しようとするヴィヴィオ。
しかし、師はそれを許すほど優しい男ではない。
「そうやっていつまでも逃げ続けるのか?
 お前が村で何を思い出し、何を知ったのかは知らんが……事実は変わらんよ」
さらに口を開こうとしたヴィヴィオを遮り、ガウェインはさらに畳みかける。
「例えば、魔力の暴走を引き起こした原因が外部にあったとしよう。
 “それ”は確かにお前の精霊力に干渉し、影響を及ぼしたかもしれない。
 “それ”に触れることがなければ、悲劇は起こらなかったかもしれない。
 でも――実際に家族を死に至らしめたのは“それ”じゃない。
 お前自身が生んだ焔が、両親と弟を焼いたんだ。骨も残らずな」

心の内にあった最後の免罪符が、いとも容易く打ち砕かれてゆく。
――もはや、逃げることはできない。
追い詰められたことを悟った瞬間、ヴィヴィオはなりふり構わず叫び出していた。

「そんなつもりじゃなかった! 俺はただ怖かったんだ!
 盗賊が来て! 親父は殺されかけて! お袋は俺たちを抱いて震えてて!
 赤ん坊だった弟も……ずっと泣いてた!
 まだ、五歳だったんだ……何が起こってるかも、俺にはわからなかった!」

息を切らせ、哀願するかのように師を見る。しかし、その瞳には相変わらず何の感情も浮かんではいなかった。
「重要なのは原因や動機じゃない。結果だ」
「……っ」
「お前が殺したんだ。認めろ」
最も信頼できる者からの、疑いようもない宣告。
耐えきれずにガウェインから顔を逸らした時、仲間の姿がヴィヴィオの目に映った。

息を呑んで見守っているスラーヴァ。こちらに顔を向けずに、黙々とグラスを傾けるシロー。
そして、瞬き一つせずにヴィヴィオを見つめるローラとキャロライン。
少女たちの顔は蒼白に近く、瞳には紛れも無い怯えの色があった。
その恐怖の対象は、他ならぬヴィヴィオ自身――
「――!」
足元が揺らぐ。頭は真っ白で、何も考えられない。
ただ一つ感じたのは、自分はもうここにはいられないという事実。
「う……あああっ!」
悲痛な叫びを残して、ヴィヴィオは涼風亭を飛び出していた。

3.生命と業の天秤

「ヴィヴィオ!」
「放っておけ」 
慌てて追いかけようとしたスラーヴァを、ヴィヴィオと話していた中年の男が低い声で制した。
おもむろに席を立ち、スラーヴァを正面から見下ろす男。確か、ヴィヴィオは彼を「師匠」と呼んでいた。
「俺を酷い男だと思うか」
酷薄とも思える笑みを浮かべて、男は淡々と言葉をかける。
対するスラーヴァは、ただ黙って彼の顔を見つめていた。
「これは、あいつが人生で乗り越えないといけない壁だ。
 “お前たち”なら、その意味がわかるな」
男の視線が、一瞬スラーヴァからシローの方へ泳ぐ。
それを見てとったのか、シローの片眉が微かに動いた。しかし、彼は特に声を発することもなく、空になったグラスに酒を注いでいた。

「忘れるな。因果の糸は、確実にお前たちにも繋がっている。
 あの馬鹿弟子の仲間である限り、な」

最後に意味深な言葉を残して、男は涼風亭を去っていった。
重い沈黙の中、スラーヴァが振り返ってシローの方を見る。
「……ごめん、シロー。俺、やっぱり行くよ」
「ああ」
軽く手を上げたシローに頷きを返すと、スラーヴァもまた酒場を出ていった。
客のいない店内に、再び訪れる静寂。
ローラは、言葉もなくただ立ち尽くすばかり。隣のキャロラインも、似たようなものだ。
ヴィヴィオが自らの家族を手にかけた――この衝撃の事実を、どう整理したら良いのか見当もつかない。
そんな自分とキャロラインを、酒の入ったグラスを手にしたシローが眺めていた。
「――ショックだったか?」
彼の様子は落ち着いており、揺らぎはない。
戸惑ったように、キャロラインが小さな声で答えた。
「当たり前じゃないですか……まさか、ヴィヴィオくんが。
 ……それも、ご両親を……殺めていた、なんて」
「“人殺し”とわかって、怖くなったか?」
シローの問いに、迷いながらも頷くキャロライン。
次いで視線を向けられ、ローラも沈黙で肯定の意を示した。
「そうか」
一切の感情を消し去った声で、彼は続けた。

「――俺も、人殺しだぜ」
「……」
シローの漆黒の双眸が、押し黙る二人を真っ直ぐに見据える。
いつもの、仲間としての目ではない。自らの鋭き牙をもって闘う、それは戦士の目だった。
「十六の時に旅に出てから、俺はそういう場所にいた。
 何人殺ったかも覚えちゃいない」
シローが人を手にかけた経験があることは知っていたが、特にそれを恐ろしいと感じたことはない。
武器を手にしている以上、命のやりとりと無縁ではいられないことは理解できる。
ローラの中では、シローの殺した人間というのは名も無い戦士や盗賊たちであり、血肉を持った存在としての認識はどうしても薄かった。
だから、その事実を知っても彼を仲間として抵抗無く受け入れていたのだ。
――しかし、ヴィヴィオの場合は違う。
彼が殺したのは両親と弟。その存在は、生々しい現実感をもって想像することができた。
魔力の暴走という、本人に制御し得ない殺害手段であったことも、恐怖を一層煽る。
シローのそれと一緒に考えるべき問題ではない。内心に浮かんだ反論をそのまま代弁するかのように、キャロラインが口を開いた。

「でも……悪い人を殺めるのと、家族を殺めるのとじゃあ……意味が違いますよ」
「本当にそう思うか?」
「え?」
諌めるような口調に、思わずたじろぐキャロライン。
「相手が赤の他人だろうが親兄弟だろうが、同じなんだよ。
 誰を殺ったとしても、“人殺し”には変わらない。それに――」
シローはそこまで一息に言うと、グラスを強く握り締めた。
ガラスの軋む音とともに、まだ半分ほど残る酒が大きく波打つ。
ゆっくりと、低い呟きが彼の口から漏れた。
「俺だって、悪党ばかり手にかけてきたわけじゃない……」
「――?」
訝る二人を前に、シローは視線をグラスの方へと落とす。
押し殺した表情の中に、隠しきれない苦さが滲んでいた。
「村で見た、金髪のガキ……覚えてるか?」
「……グレンさんと一緒に出てきた、男の子ですか?」
白い霧に包まれた村での出来事が、ローラの脳裏に蘇る。
あの時、シローの前に現れたのは金髪に褐色の肌を持つ、赤い瞳の少年だった。
死した者の幻影――それは、彼の過去にいかなる形で関わっていたというのか。
暗く低い声で、しかしはっきりとシローが言う。
「あいつは俺が殺した」
「どうして……」
絶句するキャロラインに、シローはすぐに答えを返そうとはしなかった。
壊れそうなぐらいに握り締められたグラスが、悲鳴のような軋みを上げて震えている。
「商人の護衛をしていた時、妹と一緒に刺客として来たんだ。
 向かってきたから斬った――それだけだ」

言葉とともに、勢いよくテーブルの上に叩きつけられるグラス。
残っていた酒が溢れ、シローの指を伝いながら卓を濡らす。
「その商人は悪党でな。後で聞いたが、奴らの親はそいつに殺されたそうだ。
 ……知ってたとしても、結果は変わらなかったがな」
そこまで言うと、彼は一気に酒をあおった。
再びグラスをテーブルへと置き、深く、息を吐く。
「――あれから、もう三年になる」
「まさか……それってぇ……」
ある事を思い出し、ローラは思わず声を漏らした。
シローも、すぐに彼女の意を察して頷きを返す。
「ああ」
三年前。それは、彼が恋人のもとを去った時期と一致していた。
早計から最も大切なものを手放し、自暴自棄になっていた頃。
八つ当たりのように戦いへと逃げ込み、そして人を斬ってしまったと。
苦い表情で、シローはかつて語ったことがある。

――人間、誰しも過ちはあるものではないか?
それに、相手は少年とはいえ剣で襲いかかってきたのだ。
全力で戦わなければ、命を落としていたのはシローの方だったかもしれない。

ローラのそんな考えを見透かしたように、シローが言葉を続ける。
「だからといって、殺したことの言い訳になるのか?
 あのおっさんも言ってた通り、大事なのは結果だけだ。
 奴の妹は、『必ず殺してやる』と叫び続けていたぜ。
 ――俺が斬った兄貴の死体にすがってな」
そう言った後、シローの口元から奥歯を強く噛み締める音が漏れた。
「誰だってそうだ。生きるために何かを殺して、それを食らう。
 正しいか正しくないかなんてのは、この際関係はねえ。
 わかってるのは、厭が応でも背負うしかないってことさ」

前を見て、揺らがない漆黒の瞳。固く握られた拳。その強さが、逆にローラの胸をついた。
苦悩を乗り越えてもなお残る、殺人者としての十字架。生きること、そのものに対する業。
そして気付く。シローが今までの冒険の中、人を殺すのを避けていたことに。
軽々しく死ねだの殺すだのを口にしても、彼はその重さをきちんと知っていたのだ。
血腥い生命のやりとりから、自分たちは意図的に遠ざけられ、庇われていた。

それすらわからなかった自分には、ヴィヴィオに何も言う資格がない。
何よりも、親殺しという過去の罪に対面して一番苦しんでいるのは彼自身なのだ。
一生背負っていくであろうその痛みを思い、ローラの胸に慙愧と悔恨が浮かぶ。
「ごめんなさい……ですぅ……」
「謝るなら、相手が違うだろう」
頭を垂れて詫びる彼女に、シローが静かな声で答えた。
彼の言葉に、下を向いたまま口唇を噛みしめるローラ。
その時、沈黙を保っていたキャロラインが、固い口調でシローに話しかけた。
「――シローさん」
「何だ?」
「シローさんが言っていること、頭では理解できるんです。
 でも、私にはまだ……わかりません……どうしたらいいのか。
 ヴィヴィオくんに対しても……あなたに……対しても……」
家族を死に追いやったヴィヴィオ。罪の無い少年を手にかけたシロー。
生まれ持った純粋さゆえに、キャロラインはなかなかそれを受け入れられないのだろう。
誰もが、自らの価値観を柔軟に変えられるとは限らないのだ。
「……ああ。そうだろうな」
対するシローの返答は、どこまでもさりげなかった。

4.死は、全ての終焉か?

フロースパー郊外の共同墓地。
自分に怯える仲間の目から逃れたい一心で走り続け、気付いた時にはここへと辿り着いていた。かつて友人だった青年の墓を前に、ヴィヴィオは一人懊悩する。

長い間、死者の魂が残るなどとは欠片も信じてはいなかった。
勿論、そういったものが存在するということは知識として知っていたが、それは魔法で操られる対象としての、意志のない物体と認識していたのだ。

“死”というものを、軽く考えていたわけではない。
ただ、それは全ての終わりであって、後は完全に無へ還るのものだと思っていた。
死してまで生前の因果に縛られることを、想像したくはなかったのだ。

しかし。
それは、死者がかつて生きていた証を否定することに繋がりはしないのだろうか?

剣士を目指し、若くして病に倒れた友――グレン。
付き合いはごく短いものだったが、彼は確かに仲間として自分のそばに生きていた。
グレンが夢を託した剣。彼の遺志。それは、形を変えてスラーヴァへと受け継がれている。
スラーヴァが剣を手に戦っている時、グレンがすぐそばにいるような――そんな錯覚を覚えることすらある。
彼の魂は、今も確かに生きているのだ。

結局は、罪から目を背けるための詭弁に過ぎなかったのかもしれない。
魂の存在を否定することで、自分を脅かすものは何もないのだと、言い聞かせていただけなのかもしれない。
暗澹たる思いとともに、ヴィヴィオは亡き友に無言で問いかけ続ける。

「ヴィヴィオ」
背後から、聞き慣れた声が自分を呼んだ。
「やっぱり、ここだったんだね」
振り返ると、いつも通りに穏やかな微笑を向けてくるスラーヴァの姿。
その優しさが今は、逆に胸に痛い。
大切なものを、いつかまた自分は壊してしまうかもしれないのだ。
再び失うことは、もう耐えられそうにない。それならば、いっそ。
「……」
沈黙の後、ヴィヴィオはポケットから小さな石を取り出し、彼に放り投げた。
「……これ、使え」
錬金術の技術の結晶たる精霊石。淡い光を放つそれを、スラーヴァの掌が受け止める。
ここ最近、少しでも気を紛らわせようと寝食も忘れて錬金術に没頭していた。この石も、つい今朝がた錬成を終えたばかりのものである。

「剣にくっつけておけ。精霊の働きで、もう少し切れ味も増すはずだ。
 もしもの時には、俺も苦しみたくねぇからな……」
壊すくらいならば、自分が消えてしまった方がどんなに楽か。
仲間に人生の幕を引いてもらえるのならばそれでいいと、ヴィヴィオは本気で思った。
そんな彼を、スラーヴァの紫紺の瞳がどこまでも優しく見つめる。

「ヴィヴィオ、俺は剣であり盾だ。でも……それはいずれも、守るためにある。
 これからも、ずっと変わることはない」
静かな決意を湛えて、彼ははっきりと言った。
「大丈夫、誰も死なせやしないさ。……君も含めてね」
迷いの無いスラーヴァの表情がやけに眩しく感じられ、ヴィヴィオは顔を背けてしまう。
「守るため、か……。俺にゃあ真似できねぇよ……」
「そこまで立派な人間じゃない。今までも、守れなかったものの方が多いんだ」
「よせよ、同情なんて……されたくはねぇ」
「俺にも、妹がいたんだよ」
スラーヴァに兄妹がいたという話は、初めて聞く。
驚いて見上げると、悲愁に沈む彼の顔があった。

「俺たちは双子で、生まれた時からずっと一緒だった。
 両親が早くに死んでからは、お互いの存在だけを頼りにして生きてきたんだ。
 そんなある日、住んでいた場所が火事になってね」
言葉の端々から、血を吐くような悔恨の念が滲む。
どこか遠い瞳で、スラーヴァは真っ直ぐ前を見据えていた。
「十二歳だった俺は、ただ見ている事しかできなかった。
 妹が炎の中にいると知りながら……助けようともせずに。
 呆然と、それを眺めていたんだ」
家族を呑みこんだ焔の幻影が、自らの脳裏に蘇る。
普段、全く自分のことを語らない彼の告白に、ヴィヴィオは黙って耳を傾けていた。

「火事で生き残ったのは、俺だけだった。それも、人の命を犠牲にして」
「……前に、そんな事を言っていたよな。お前」
頷きを返すとともに、スラーヴァは言葉を続ける。
「旅の冒険者が助けてくれたんだ。
 炎の海と化した家から俺を救い出し、俺の身代わりとなって死んでいった。
 その遺言を受けて、彼の同行者が俺をセレナイトまで連れていくことになったんだ。
 子供のいない司祭夫婦の養子として、俺を引きとってもらうためにね。
 そこへ辿り着くまでの間も、俺は守られてばかりだった。
 自分のために人が傷付いていくのを見るのは、堪らなく辛かったよ」

――ああ。同じだ。
スラーヴァの告白を聞き、ヴィヴィオの心にそんな思いがよぎる。

「一人だけ生き長らえたことを、俺は悔いた。
 人を犠牲にした上での幸福など、要らないと思った。
 何より、それを分かち合うべき妹はもういなかったんだ」

状況も原因もまったく違う――しかし、スラーヴァの痛みは確かに自分と同じものだ。

「心の底から、死にたいと願ったよ。
 ――生きていることが、こんなに苦しいと思ったことはなかった」
自らの存在が他者にとって不幸にしかならないという認識。それにより、自分自身の消滅をも願う心。
どちらも、ヴィヴィオが今、感じているものだった。
言葉を失ったままの彼に、スラーヴァは愁いを帯びた微笑を向ける。
悲しみの中にあっても、その姿はどこか強さを感じさせた。
「でも、気付いたんだ。それは結局、自分が楽になる手段に過ぎないってことにね。
 苦しみから逃げては、いけないと思ったんだ」
「強いんだな……お前は」
絶望から這い上がる力は、今の自分にはない。そこだけが違う。
落胆と自嘲を込めて呟いたヴィヴィオに、スラーヴァはゆっくり首を横に振った。
「違うよ。一人では立ち上がることすらできなかった。
 沢山の人々が支えてくれたから、今、俺はここにいられるんだ」
雨上がりに咲く花のように、悲しみの中にも清冽な信念をもって、スラーヴァの言葉がヴィヴィオの耳へと優しく響く。
「死は全ての終わりかもしれない。でも、それは無に還るということとは違う。
 誰かが受け継ごうとする限り、彼らが生きていた証は失われることはないんだ。
 それが、命あるものの役目なんじゃないかな。
 まだ、俺たちは前に進むことができるんだからね」

5.冒涜と醜さと

スラーヴァの話を聞き、ヴィヴィオも再び重い口を開く。
「……前に、“最初の理由”って話をしたよな」
「ああ、覚えているよ」
錬金術の勉強を本格的に始めた頃。
思うように成果が上がらず苛立ち気味のヴィヴィオを、スラーヴァはこう励ましたことがある。
――錬金術師を目指そうとした、最初の理由を思い出してごらん。
彼のこの言葉は、ヴィヴィオの痛みを微かに刺激したのだ。
その時は、決してそれを語ろうとはしなかったが。

「俺は、錬金術で人間の命を創り出せるじゃないかと思った……
 それが、きっかけだったんだ」
家族を蘇らせようと、願っていた自分。
決して知られたくなかった筈の過ちと、心の中に淀む暗い澱。
何故か、今はそれを吐き出してみようと思った。
「最初は、ガキの戯言ですんでた。
 どうして家族が死んだのかもよく覚えてはいなかったし、
 純粋にそれを取り戻したいと思っただけだった。でも……」
「でも?」
「時間がたつうち……思うようになった。
 俺はただ、許して欲しいだけなんじゃないかってな」
「許し、かい?」
言葉を返すスラーヴァに、苦い頷きを返す。
「思い出が、あまりに薄いんだ。
 家族が死んだと聞かされても、俺は涙一つ零さなかった。
 人間として何かが間違ってる気がして……それを否定したかったんだ」
堰を切ったかの如く、次々と溢れ出す嘆き。もはや、自分でも言葉を止めることはできない。

「家族のためなんかじゃない……結局、俺は自分のことしか考えてなかった。
 許してもらうために命を弄んで、何も無かったことにしようとしているだけだった!」
喉を震わせる叫びが、他に人影のない墓地に響く。
しんとした静寂が再びあたりを包んだ時、ヴィヴィオは搾り出すように、悲痛の呟きを漏らしていた。
 
「そういうの……冒涜っていうんだよ……。
 あの腐れた死霊使いの野郎と、俺は何一つ変わりゃしない……」

心の底から、申し訳無いと思った。
家族にも。グレンにも。ここに眠る数多の死者たちにも。
存在を信じすらしなかった、全ての失われた魂たちへ、ヴィヴィオは詫びた。
あの死霊術士を目の当たりにした時から、とっくに過ちには気付いていたのだ。
それを認めようとしなかった自分自身を、深く恥じる。
歯を食いしばって俯く彼に、スラーヴァが意外な言葉をかけた。

「ヴィヴィオ。俺はね、自分が汚れた人間だということを知ってる」

清廉を絵に描いたような彼が、汚れているとはどういうことなのだろうか。
訝るヴィヴィオの耳に、深い自嘲と煩悶を込めたスラーヴァの声が響く。
「……こうしている今でも、俺は君たちを騙し続けているんだ。
 それを覆い隠そうとする自分の卑怯な醜さが、たまらなく憎い」
言いたくないことならば、無理に言わなくても構わない。
今まで、自分もそうしてきたのだ。
ヴィヴィオにとって、スラーヴァはスラーヴァだ。過去に何があろうとも、それは変わりはしない。
口を開きかけた時、彼は寂しげな微笑をヴィヴィオへと向けた。

「どんなに自分を嫌っても、別人にはなれない。過去も決して変えられない。
 だから――前に進むために、俺は盾となることを選んだ。
 それすらも一つの逃げかもしれないけれど。
 ――せめて、これだけは自分に許そうと思うんだ」

盾であることを誓った青年。
かけがえのない仲間の命を守るため、彼が自分の前に立ち塞がることもあるのかもしれない。
浮かび上がった不安が、疑問となって口をついた。

「なあ、一つ聞いていいか?」
「何だい?」
「もし俺がお前たちの敵になったら、お前はどうする?」
ヴィヴィオの問いに、意外そうな顔で首を傾げるスラーヴァ。
少し考えた後、彼は答えた。
「こんな俺にも、一つだけわかることがある。君は良い奴だ。
 だから、敵になったりはしないよ……絶対にね」
いかにも、人を疑うことを知らないスラーヴァらしい返事だ。
苦笑とともに、思わず軽口を叩くヴィヴィオ。
「……お人好しだな、お前は。そんなことだと、いざって時に泣きをみるぜ。
 ま、そーならないように、俺らが気をつけなきゃならねーんだろうけどな……」

そこまで言うと、ヴィヴィオは突如口を噤んだ。
もう、パーティに自分の居場所がないことを思い出したからだ。
俯く彼に、スラーヴァは懐から一枚の紙片を取り出して示した。
「それは……」
冒険者ギルドへ提出する、パーティエンブレムの申請票。
彼が見せたのは、その控えの用紙だった。

もう、パーティを組んで半年になる。
そろそろ“手探りで進む者たち”を象徴するものができても良いだろうと、スラーヴァがエンブレムの作成を提案したのだ。
正五角形と五芒星を組み合わせ、五色の石を頂点へと配置したそのデザインも、彼の考案による。

「俺がどうして、この形を選んだかわかるかい?」
押し黙ったままのヴィヴィオの前で、スラーヴァは順番に五色の石を指差しながら言った。
「五個の石をそれぞれに全部結んで、これは初めて完全になる。
 うちのパーティも同じだよ。“手探りで進む者たち”は誰一人、欠けちゃいけない」
顔を上げ、暖かい視線をヴィヴィオに向ける。
「――俺たちには、君が必要なんだ」
そう言ったスラーヴァの紫紺の瞳には、一点の曇りもなかった。

6.縁を紡ぐ糸たち

その頃。
自由市場をひやかして歩くガウェインに、声をかけてくる者があった。
「ガウェイン殿。久しぶりじゃのう」
綺麗な白髪を後ろで三つ編みにまとめた、穏やかな物腰の老婦人。
久々に会う、恩人の顔がそこにあった。
「これは……セシリアさん。どうもご無沙汰しております」
セシリア・アイリーン・フェアフィールド――またの名を“ナイトローズ”。
数十年前に怪盗として名を馳せ、現在は見寄りのない子供達に教育を施す学校の校長という顔も持っている。ヴィヴィオと出会ったのも、彼女の計らいによるものだった。
そんなセシリアは、ガウェインが心から敬する数少ない人物の一人である。
それは、若い頃に命を救われたという理由からだけではない。

「ヴィヴィオに会ったのかい?」
「ええ」
「あの子も、最近は随分と落ちこんでいたようじゃったからのぅ……」
言葉とともに、セシリアの表情が曇る。情報収集に長けた彼女のことだ。最近のヴィヴィオの様子も、全てお見通しということだろう。
ごくさりげない調子で、ガウェインは事実を口にした。
「当然でしょう。自分が家族を焼き尽くした記憶――それを取り戻したのですからね」
「――! 間違いは……ないのかい?」
瞳を大きく見開き、絶句するセシリア。
ガウェインが頷きで返すと、彼女は沈痛な面持ちで呟いた。
「やはり……そうなのかの……あの子には、辛い試練になるのぅ」
「これくらいで立ち直れなくなるようでは、どの道やっていけませんよ」
「相変わらず厳しいのぅ、お主は」
すげない態度を取り続ける自分に、セシリアが苦笑する。
たとえ恩人といえど、ガウェインはそれで自らの意思を曲げる事は滅多になかった。
彼女の愁いた視線を受け流しつつ、話題を変える。

「それにしても……あの馬鹿弟子が、一丁前にパーティを組むようになったとはね。
 正直、驚きましたよ」
「彼らに会ったのかい?」
「会った、というほどでもありませんが。
 まだ青い甘ちゃんばかりかと思えば、それなりに修羅場を見てきた奴もいるようで。
 あいつが一人で解決できないようなら、あとは彼ら次第ということになる」
言いながら、先ほど酒場で見た面々を思い出すガウェイン。
自慢では無いが、人を見る目にはちょっとした自信を持っている。
随分と若い連中ではあったが、なかなか見所のありそうな顔も二つばかり混じっていた。
とはいえ、彼らがヴィヴィオの問題をきちんと消化できるかは別問題なのだが。
これからの行く末に考えを巡らすガウェインに、セシリアが笑った。

「それならば、きっと心配は要らないよ」
「ほう?」
「仲間に、銀髪の子と黒髪の悪ガキがおったろう?」
ガウェインが目をつけたのも、その二人であった。
興味を覚えてセシリアを見やると、彼女はどこか誇らしげな微笑を浮かべている。
「あれは、八年前ヴィクトールに深く関わった子供たちさ」
「ヴィクトール老の……もしや」
彼女の古い友人であるヴィクトール・ハインガットもまた、彼の恩人の一人だ。
その彼と八年前に関わったとなると、思い当たる事件は一つしかない。
当時アムドゥシアスの辺境を支配していた地方領主、ヨハネス・マンシュタイン。
表では慈善家を気取って孤児たちを引き取り、裏では虐待の限りを尽くした悪逆無道の男を失脚せしめたのが、ヴィクトールとセシリアの二人だった。

「ああ。あやつが、マンシュタインのもとから助け出したのが銀髪の方。
 それを託され、セレナイトまで送り届けたのが、黒髪の悪ガキというわけじゃ」
子供の救出のため、ヴィクトールは単身でマンシュタインの屋敷へと乗り込み、重傷を負いながらも一人だけそれを救い出すことに成功した。
怪我で動けなくなった彼の代わりに、子供をセレナイトまで連れていった少年の話は、ガウェインも聞いたことがある。
「なるほど、恩人の片割れと感動の再会を果たしたわけですか」
「いや、おそらくは互いに気付いておらぬじゃろう。
 再び出会い、パーティを組むことになったのは偶然に過ぎぬしのう。
 ヴィヴィオも含め、ワシと関わりのある子供たちが三人もこうして集っていたとは、
 この婆も驚いたよ」
「全ては人の縁……というわけですかな」
軽い驚嘆の響きを込めて、呟きに似た言葉を漏らすガウェイン。
その彼に、セシリアが満足そうに頷いた。
「若くとも、深い業を乗り越えてきた彼らじゃ。
 あの子たちならば、きっとヴィヴィオを悪いようにはせんじゃろうて」
若者たちの成長を心から喜ぶ、優しい笑み。
ガウェインも思わず表情をほころばせた時、セシリアが視線を周囲へと巡らせた。
ちょっとした広場になっているそこには、太陽光を利用した日時計がある。
時間を確かめると、彼女は微笑とともに襟を正した。

「――さて、そろそろ出発しようかの」
「どちらにお出かけで?」
「何、ちょっとセレナイトまでの。人が目を離した隙に、
 また影で悪巧みをしている不届きな輩がおるという話があるんじゃ。
 この婆にしかできないことが、まだまだ多くてのぅ。
 ……おちおち、ゆっくりと冒険にも出ていられんわ」
そう言って、ガウェインに目配せをしてみせる。
「お一人で行かれるのですか」
「ヴィクトールには、余計な心配をかけさせたくないのじゃ。
 あやつに知らせれば、絶対に自分で行くと言って聞かぬじゃろうからの」
セシリアのその言葉で、ガウェインは彼女の目的に大体の察しをつけることができた。
人間は皆、一本の糸のようなものだ。それが紡がれて縁となり、網のように広く張り巡らされていく。
遠く思えた事柄も、どこかで必ず自分と繋がっている。つまりはそういうことだろう。
「八年前の決着……か」
ガウェインは一人呟いた後、セシリアに向き直った。
「女性の一人旅は何かと不都合だ。
 特に急ぐ用件もない……よろしければご一緒しましょう」
「おぬしが来てくれるならば、心強い。
 それでは、お言葉に甘えるとしようかのう?」
「喜んで」
そう答える彼の脳裏に、ヴィヴィオの顔が浮かぶ。
――自分の役目はもう、終わっている。
そんな確信を胸に、ガウェインは思わず微笑していた。

7.たった一つの赦し

「あ……ヴィヴィオくぅん!」
スラーヴァとともに涼風亭へ戻ったヴィヴィオを見て、ローラが飛んでくるように扉まで駆け寄ってきた。
「良かったぁ。戻ってきてくれたんですねぇ」
「……」
嬉しそうな彼女の様子にも、今一つ反応を返すことができないヴィヴィオ。
先ほどの怯えた表情が、まだ強く印象に残っていた。
俯いたままの彼を前に、ローラも声の調子を落とす。
「その……ごめんなさい、ですぅ」
見ると、今にも泣き出しそうな表情で頭を下げる彼女の姿があった。
「わたしぃ、何も知らないでぇ、あんなひどいことぉ……」
心底すまなそうに詫びるローラに、いつもの元気はどこにもない。
逆にいたたまれなくなり、ヴィヴィオはごく軽く彼女に答えた。
「いいよ、別に」
顔を上げ、潤んだ瞳で彼を見つめるローラ。
ぎょっとしたヴィヴィオに、彼女はもう一度深く頭を下げる。
「本当にぃ、ごめんなさいですぅ!」
「いーって、そんなに謝るなよ」
狼狽を押し隠しつつ、横を向いて頭をかく。
そんな彼の前に、キャロラインが進み出てきた。
「――ヴィヴィオくん」
「キャロライン……」

表情をこわばらせたままの彼女の顔を見て、ヴィヴィオの心に再び影がさす。
無意識に後退さりかけた時、真剣な口調でキャロラインが話しかけてきた。
「さっきは……ごめんね。
 色々考えたんだけど……まだ、どうしていいかわからないの。
 いきなりのことで、戸惑っちゃって……」
何と答えて良いのか迷うヴィヴィオを、彼女は真っ直ぐに見つめる。
大きな黒い瞳が、彼の姿を映して揺れていた。
「しょ、正直言うとね? 私、まだ怖いの。
 あなたを怒らせたら、どうなるんだろうって、考えちゃう」
自分でも言っている通り、キャロラインの内には怖れが深く根ざしているのだろう。声が、微かに震えているのがわかる。
それでも、彼女はヴィヴィオから目を逸らそうとは決してしなかった。
しっかりと背筋を伸ばし、真摯な言葉で、キャロラインは言葉を紡いでゆく。
「でもね? 私、仲間を…あなたを信じたい。
 何があってもヴィヴィオくんはヴィヴィオくんだって、
 何も変わらないんだって、信じたいの。だから……もう少しだけ、時間をくれるかな?
 ゆっくり、考えさせて欲しいの」
彼女なりに、この短い時間の中で精一杯に考えた結論なのだろう。
結果はどうあれ、その心が、今のヴィヴィオには何よりも嬉しかった。
話し終えた後、申し訳なさそうに視線を伏せるキャロライン。
「ごめん……ね」
「仕方ねぇさ。俺の方こそ……すまねぇ」
「ううん。ヴィヴィオくんが悪いわけじゃあ、ないもの」
お互いに詫びた後、二人は顔を見合わせてほんの少しだけ笑った。

「よう、気がすんだか。家出少年」
背後から、シローのからかい半分の声。
相当呑んだのだろうか、酒の香りが強く鼻腔を刺激してくる。
顔を顰めながら、ヴィヴィオは振り返って彼の顔を睨んだ。
「ガキみたいな言い方するなよ。昼間っから酒の匂いぷんぷんさせやがって」
「まあ、たまにはいいだろ。お前もどうだ?」
シローの手に握られた酒瓶は、やはり大分中身が減ってしまっている。
呆れながら、首を大げさに横に振ってみせるヴィヴィオ。
「いらねーよ。ダメな大人の仲間入りはごめんだ」
「そう言うな。大人には大人の事情があるんだよ」
「偉そーに……」
悪態をつきながらも、心の中でどこか安心感を覚えている自分に気付く。
いつも通りのやりとりが、何故か堪らないほど懐かしい。
戻って来た、という思いが、彼の脳裏へと染みこんでいった。

そんな様子を、優しげな微笑で眺めるスラーヴァの姿。
ヴィヴィオも彼の方を向き、軽く頷いてみせる。
自然と、笑みが浮かんだ。笑ったのは、随分と久しぶりかもしれない。

「あのぅ……ヴィヴィオくん」
「あ?」
声をかけられて顔を向けると、そこには本を抱えたローラの姿があった。
表紙を見ると、“まほうのすすめ”と文字が打ってある。
いかにも初心者用の入門書といった、陳腐な作りの本だった。
「……良かったらぁ、教えてもらえませんかぁ? 魔法……」
遠慮がちに頼む彼女に、意地悪く笑ってみせるヴィヴィオ。
「いいぜ、教えてやる。俺の指導は厳しいぜ?」
ローラが大事に抱えている本を指差し、彼は容赦無く言い放った。
「まずは、その役に立たない本を捨てろ!」
「ええ〜! 本捨てるんですかぁ!? ……うぅ〜、折角買ったのにぃ」
目を丸くして抗議する彼女に取り合おうともせず、呆れた声で呟く。
あんなもので魔法が上達するのなら、誰だって苦労はしないのだ。
「つまんねーもんに金かけんなよ……もったいねぇ」
「もったいないのはぁ、捨てちゃうほうがぁ……」

未練たっぷりに嘆くローラの声を聞きながら、ヴィヴィオはふと思いを巡らせる。

まだ、答えは出ないけれど。
今、この場所にいること――それだけは赦そう。
自分を必要としてくれる、仲間たちのために。

未だ闇を彷徨い続ける心に、ほんの少しだけ光が差したような――そんな気がした。


〔執筆者あとがき〕

ヴィヴィオの、秘められた過去を解き明かすエピソードの後編。
畳み掛けるように事件が起こっていた前編とは対照的に、会話を中心にした静かな物語になりました。

自らの業と因縁に翻弄されつつも、ひとかけらの希望を求めて彷徨うヴィヴィオの苦悩。
事実が持つ重さに、戸惑いを隠せないローラとキャロラインの心境の変化。それを見守り、支えようとするシローとスラーヴァの心遣い。
そういったものを、この中で表現できていれば良いなと願っています。

次の第8話からは、いよいよクライマックスへと突入です。
今回の事件でファンブラーズに生じてしまった僅かな溝。それが、この後も影を落としていくことになるのですが……。