“手探りで進む者たち”
(The Fumblers)

第5話
また、青空の下で
AkiRa(E-No.633PL)作
2004/05


1.それぞれの役割、戦いの日々 5.勇気と無謀
2.水晶の淡き思い出 6.一繋ぎの強さ
3.治療院の午後 7.冒険で手に入れたもの
4.翳った笑顔 8.その輝きとともに
〔執筆者あとがき〕


1.それぞれの役割、戦いの日々

「はあ、今日も疲れたぁ……」
部屋に戻るなり、溜息とともにベッドへと倒れこむキャロライン。
いささか柔らかすぎるマットレスが彼女を受け止め、その小柄な身体を大きく沈める。
『涼風亭』に慣れているためか、どことなく違和感をおぼえる感触だった。

キャロライン達、“手探りで進む者たち”は現在フロースパーを離れ、バルバトス地方の北西に位置する地方都市クジャラナートを訪れていた。
大陸における商業の中心地であるフロースパーと直接街道で結ばれるこの街は交通の要所であり、行き交う旅人や隊商もかなりの数にのぼる。
そのため、彼らを狙う盗賊たちが後を絶たず、この一帯の治安は近年悪化の一途を辿っていた。
街道の別名が“盗賊街道”となっていることからも、その程度を窺い知ることができる。

ともあれ、隊商の護衛は冒険者の良い稼ぎ口の一つだ。
“手探りで進む者たち”もまた、この手の仕事は数多くこなしてきており、今回もフロースパーから護衛の依頼を受けてここまで来ている。
本来ならば依頼人を送り届けた時点で任務完了となるのだが、とある事情で、しばらくこの街へと滞在することを決めたのだった。

「キャロラインちゃん、大分お疲れみたいですねぇ。
 肩でも揉んであげましょうかぁ?」
隣のベッドに腰掛けていたローラが、心配そうにキャロラインに声をかける。
宿が変わっても、寝床の位置関係はまったく同じだった。
意識してそうしたわけではないが、お互いにそれが心地よいのだ。

「ううん、大丈夫。ありがとう、ローラ」
キャロラインは枕から顔を上げると、気遣わしげなローラに微笑んでみせた。
「お仕事、大変なんですねぇ」
「うん、でもいい経験になってるし。好きでやっていることだから。
 怪我人が全然減らないのは困りものだけど……」
「そうですねぇ。こっちもきりがないですぅ。
 盗賊さん、あんなにいっぱいどこに隠れているんでしょう?」

ここ最近、クジャラナートと街道の周辺では盗賊の勢いがさらに増していた。
いくら腕利きの護衛が彼らを一旦退けたとしても、間断なく別の一団が襲いかかってくる。
雇われた冒険者たちの中には、そういった執拗な攻撃の前に敗れた者も少なくない。
死者はそう多くはないとは言え、毎日数多くの負傷者が街へと運ばれてきている。

この状況を見て、“手探りで進む者たち”は新たなる依頼を受けることにした。
内容は盗賊たちの討伐。守るだけでなく、積極的に狩りだそうというわけである。
すでに、街の領主から冒険者ギルドへと話は通っており、彼らの他にも何組かのパーティがその役割についていた。

一方で、キャロラインは一人別の場所へと赴くこととなった。
あまりにも負傷者が多く、それを治療する者の手が足りないため、街の治療院の仕事を手伝うことを頼まれたのだ。
医術に通じ、治癒の神聖魔法をも使いこなす彼女にはうってつけの役割である。
キャロラインは喜んでその申し出を受けた。
看護師としての良い修行になるだろうし、何よりも傷付いた者を目の前にして黙ってはいられない性質なのだ。

「ごめんね、一緒に行けなくて」
「大丈夫ですよぉ、四人でも何とかなってますからぁ。
 シローさんとかヴィヴィオくんはぁ、もう飽きたってこぼしてますけどぉ」
「……あの二人らしいね」

口々に不平を漏らす若者と少年の顔を思い浮かべつつ、キャロラインが笑う。
当初は、自分一人が別行動をとることを申し訳なく思ってもいたが、パーティのリーダーであるスラーヴァは迷わずこう言ったものだ。
「こっちは任せて、安心して行って来るといいよ。
 盗賊と戦うのは俺たちでもできるけれど、この仕事は君にしかできないからね」
それでも、まだ自分は不安げな表情を浮かべていたのだろう。
彼は力強く頷き、逆に彼女を励ますように言葉を続けた。
「大丈夫、俺たちは負けないから。キャロラインも、大変だろうけど無理をしてはいけないよ」
言葉こそなかったものの、他の三人も思うところは同じらしい。
それを見て、キャロラインは気持ちを切り替えた。
――いずれも重要な役目には違いない。それなら、私は仲間を信じて自分の仕事に専念しよう。
彼らの実力は良く知っている。決して、数だけの盗賊たちに遅れをとることはない。
今では、信頼が完全に心配を上回っていた。

「キャロラインちゃん」
ふと体を揺さぶられ、キャロラインは驚いて目を開いた。
気遣わしげなローラの顔が間近にあり、自分を覗きこんでいる。
「だめですよぅ、寝るなら着替えてからでないとぉ。
 一度寝たら起きないんですからぁ」
どうやら、いつの間にか眠りへと誘われていたらしい。
「あ……ごめん。明日も早いから、もう寝るね」
連日の治療と看護で、思ったよりも疲れているのかもしれない。
起き上がり、のろのろと身支度を始める。
着けていた水晶のペンダントを外し、柔らかい布を貼った小箱へ収めるのを見ていたローラが、ふと言葉を漏らした。
「それ、随分と大切なものなんですねぇ」
「――ああ、これ? うん、凄く大事にしてる」
「誰かからのプレゼントなんですかぁ?」
屈託無く首を傾げるローラに、キャロラインははにかみながら首を振る。
「ううん。強いて言うなら――初恋の人からの預かりもの、かな」
途端に、ローラの目が面白いほど丸くなった。
「ふえ? は、初恋?」
年齢のわりに大人びていて、しっかり者の彼女も、こういう話題となると十五歳の少女に戻ってしまう。
そんなローラの反応を微笑ましく思いつつ、キャロラインはペンダントの由来を語り始めた。

2.水晶の淡き思い出

「小さかった頃――近所に凄く意地悪な男の子たちがいて、よく苛められたの。
 私はその度に泣いていたんだけど、そんな時、いつも助けてくれたんだ……」
「格好いいですねぇ〜」
「うん、凄く優しくて格好よかった。
 同い年なのに、まるでお兄さんみたいで……」

四人姉妹の末っ子として育ったキャロラインにとって、『男の子』とは自分を苛める乱暴な存在でしかなかった。
そのため、父親以外の男性がすべて苦手になってしまったほどだ。

冒険者となり、仲間たちに出会ってからは少し慣れたものの、それまでの長い間、少年はたった一人の例外であり続けた。
彼の存在がなければ、おそらくは男性と口をきくこともできなかっただろう。


小柄で、喧嘩は得意な方ではなかったものの、誰よりも正義感が強く、弱い者苛めを決して許さなかった彼。
例え相手が自分より大きく、その人数が多くても。
果敢にいじめっ子たちへと立ち向かっては返り討ちに遭い、しかし、キャロラインにだけは指一本触れさせはしなかった。
「もう泣くな。俺がここにいてやるから」
全てが終わった後、彼は腫れ上がった顔で決まってこう言うのだ。
自分を庇って傷付いた少年。
そのボロボロの姿を見るたび、涙はますます溢れて止まらなかったが、彼はそれでも、キャロラインの傍にいて彼女を慰めていた。

守り、守られる存在。
その関係はずっと変わることはなかったが、時は二人の間に新たな感情を育んでゆく。
思春期を迎える頃には、お互いにそれが恋だと自覚するようになっていた。

戸惑いと喜び。暖かく、淡く、甘い記憶。
今でもなお、それは彼女の心を満たし続けている。
キャロラインは、頬を赤らめながら思い出を語っていった。

「その人、今はアンダリュースにいるんですかぁ?」
故郷の名が、問いとともにローラの口をついて出る。
離れてから半年くらいしか経っていないというのに、随分と懐かしく響いた。
ホームシックになるのはまだ早い――内心で苦笑しつつ、キャロラインはゆっくりと首を横に振る。
「私が冒険に出る、少し前になるかな。冒険者になるって言って、出て行っちゃった」
「わたしのお兄ちゃんと一緒ですねぇ」
「……シローさんもだけど、男の人ってみんなそうなのかなぁ?」
ローラの兄リオン、仲間のシロー。彼らもまた、少年のうちに家を飛び出したと聞く。
冒険とは、そういった者を惹きつける魔力があるものだろうか?
必要に迫られて冒険者をいう道を選んだキャロラインには、よくわからなかった。
首を傾げる彼女に、ローラが屈託の無い笑みを向ける。
「あは、どうなんでしょう? それでぇ、ペンダントは……」
どうやら、話の続きが気になるらしい。
エメラルドグリーンの双眸を好奇心に輝かせる彼女に、キャロラインは話を再開した。
「もともと、これは彼がいつもお守りとして身に着けていたの」
ペンダントの入った小箱を手にとり、愛しさをこめて両の掌で包み込む。
「見送りに行った時、私、やっぱり泣いてばかりで。
 その時に、『お前はすぐに泣くから、貸してやる』って渡してくれた。
 大切なものだって知ってたから、最初は断ったんだけど。
 彼は『俺が冒険者になって、帰って来た時に返してくれ』って笑って……」
そこで、不意に言葉が途切れた。
はっとして息を呑むローラの姿が、急に大きく歪む。
「――キャロラインちゃん」
「やだ……ごめん……」
いつの間にか、自らの瞳から大粒の雫がこぼれていた。
言ってるそばから泣いていては、あまりに格好がつかない。
そうわかってはいても、彼女の涙は止まらなかった。

彼を追うように冒険者となってからというもの、キャロラインはずっと彼を探し続けている。
しかし、冒険者の活動は大陸全土に及ぶ。人ひとりを探すのに、その範囲はあまりに広すぎた。

――今、どこで何をしているのだろう? 果たして無事でいるのだろうか?

杳として消息の知れない少年。彼の安否を思うと、いつも胸が苦しくなる。
悪い結果など、考えたくもない。しかし、その不安は常に意識の片隅を占めていた。

――リンファンさんは、この痛みにどうやって耐えていたんだろう?

かつて、書置きとともに突如失踪したシローを三年あまりも待ち続けた彼の恋人。
フロースパーにいる彼女ならば、それを教えてくれたかもしれない。

ローラが見守る中、キャロラインはペンダントの小箱を握り締めて涙に暮れた。

3.治療院の午後

治療院は今日も慌しかった。
午後を過ぎても新たな患者が絶えることはなく、室内は血と薬品の匂いがたちこめ、負傷者の呻きと医師の喚呼の声とが交錯する。
その喧騒は戦場のようでもあったが、現場は整然と機能しており、大きな混乱はない。

所狭しと並んだ寝台の隙間を、キャロラインは一生懸命に駆け回っていた。
昨晩泣き腫らしたおかげで目は真っ赤になっていたが、それでも動きに淀みはない。
自らの仕事に集中しているのだ。そういった前向きさは、彼女の美点であろう。
負傷者の包帯を取り替え、薬品による消毒を行い、傷の状態を見て治癒の呪文をも併用する。
一人一人の処置が終わるたび、キャロラインは彼らに微笑んで声をかけていた。

「大丈夫、すぐに良くなりますよ」

病は気から、という言葉もある通り、人間の自己治癒力というのは精神的なものに左右される部分も大きい。
傷を負った者に対する心のケアも、治療する者の大切な仕事だという信念が彼女にはあった。
普段は男性と話すのが苦手なキャロラインだったが、この時ばかりはどういうわけか気にならない。

「……ふう」
自分の持ち場の処置が一段落したところで、軽く息をつくキャロライン。
漆黒の前髪が自らの汗で額に張り付いている。
冒険で大分鍛えられたとはいえ、元々体力に自信のある方ではない。
仕事を苦に感じてはいなかったが、身体は正直に悲鳴を上げていた。
「新しい患者が運ばれてきたみたいだ。悪いが、そちらへ行ってくれないか?」
隣の持ち場からかけられた声。振り向くと、同僚の医師の姿がそこにあった。
彼女は返事ともに立ち上がり、すぐさま言われた方向へと向かう。
休む暇もないが、仕事を放り出すわけにはいかない。
足りない体力は気力で補うのがキャロラインのやり方だった。


「……あれ? シローさん」
負傷者の出迎えに行ったキャロラインは、そこに仲間の顔を見て驚いた。
まさか彼が――とも一瞬思ったが、シローの肩に担がれている身体を見て、すぐに考えを改める。
俯き加減で顔は見えないが、どうやら少年のようだ。
気絶しているらしく、身じろぎ一つしない。
「丁度、盗賊どもの襲撃に出くわしてな。奴らを叩きのめすついでに拾ってきた」
「拾ってきたって……ものや動物みたいに言わないでください」
傷の様子を見ようとするキャロラインの前に、やや無造作に怪我人を横たえるシロー。
「もっと優しくしてあげてくださいっ! 相手は怪我人なんですよ!?」
「そう怒るなよ」
「怒ります」
彼女の剣幕に、シローが一歩退く。
まるで母親に叱られた子供のような表情が、この鍛えぬかれた戦士に不釣り合いで妙におかしい。
そんな彼に構わず、怪我人の様子をざっと診るキャロライン。
気は失ってはいるが、傷そのものは大したことはなさそうだ。
安堵しつつ、再びシローたちへと視線を向ける。
「怪我人って、この人だけなんですか?」
「いや、あと二人ほどいたんだが、そっちはもっと重傷だったんで
 スラーヴァ達が先に連れていってる」
その言葉に、軽く眉を顰めるキャロライン。
「かなり、ひどいんですか?」
「死にはせんだろ。……ただ、この先冒険に出れるかどうかは微妙だな」
シローの言葉は淡々としていたが、それ故に彼女の心に重く響いた。
「そうですか……」
いかに医術と治癒の魔法があれど、救える範囲には限界がある。
それを思うと悲しくなるが、出来得る限りの手をうつしかなかった。

「……う」
小さな呻きが、横たえられた少年の口から漏れる。
「少しだけ辛抱してくださいね。今、手当てしますから」
励ましつつ、処置を行うために彼が身に着けていた帽子を取る。
中に収まっていた赤褐色の髪がこぼれ、その下にある顔を縁取っていた。
瞬間、キャロラインは我が目を疑った。
「――アルバート!?」
驚愕のあまり叫んでしまったキャロラインの前で、少年はその目をゆっくりと開く。
懐かしい鳶色の輝きが二つ、彼女の姿を映して揺れた。
「……キャロライン……?」

アルバート・ターナー。――あれほどまでに再会を焦がれた、彼女の守護者。
人目を憚ることなく、キャロラインは彼にすがりついていた。
「アルバート……会いたかった……」


「くそ、人を荷物持ちにしやがって」
三人分の背負い袋を引き摺るようにして、よろめきながらヴィヴィオが歩く。
小柄な彼には怪我人を背負うことができず、やむなく荷物を引き受ける羽目に陥ったのだ。
しばらく毒づいていた彼だったが、やがてキャロライン達の姿を認めて立ち止まる。
だが、何か様子がおかしい。
訝しげに薄い眉を持ち上げ、傍らのシローに問う。
「……一体何やってるんだよ」
「俺に聞くな」
居心地の悪そうに答えるシローの前で、キャロラインは少年の手を取って涙を零していた。

「良かった……アルバート……」

4.翳った笑顔

「……で、お前がどうしてここにいるんだ?」
手当てを受けながら、アルバートは首を傾げてキャロラインに問いかけた。
意識がはっきりするにつれ、状況の不自然さに気付いたらしい。
彼の中では、キャロラインはアンダリュースにいるはずであった。
「それは……あのね、私も冒険者になったの」
にっこりと笑って答える彼女に、アルバートは目を丸くして驚いた。
「……は!? 泣き虫のお前が? ……つとまってんのか?」
「ひどい、最近は私だって戦えるんだから」
疑惑の眼差しに、頬をふくらませて抗議するキャロライン。
「ごめん、悪かったよ」

悪戯っぽく笑って詫びるアルバートだったが、彼は何かを思い出したように表情を変えた。
「そうだ。エルヴェとブレージ……俺の仲間はどうしてる?」
その問いに、キャロラインは内心暗い気持ちになった。
しかし、彼にそれを悟られないようにつとめて冷静に振舞う。
「……違うところで治療を受けてる。命に別状はないみたいだから、大丈夫」
キャロラインは嘘はついてはいない。
先ほど、彼らを担当している医師に容態を伺ったのだが、幸い命に関わる怪我ではなかったようだ。
しかし――決してその傷が軽いわけではない。
一人は腕の腱を完全に断たれていたし、もう一人は両目を潰され、光を永遠に失った。
ここの治療をもってしても、もう冒険には出られまい。
アルバートが五体満足で戻ってこられたのは、まさに僥倖だろう。
それを思うと、キャロラインの背筋は寒くなる。

「そうか、良かった……ちくしょう、あの盗賊どもめ」
安堵するアルバートに罪悪感をおぼえながらも、さらに彼の不安を取り除こうと、彼女は言葉を続けた。
「安心して。その盗賊は私の仲間が倒してくれたから」
「――お前の仲間?」
「うん。あなた達をここに運んでくれたのも、彼らなの」
それを聞き、アルバートの眉が微かに動く。
「彼らって……そいつら男なのか?」
「女の子もいるよ」
「そうじゃなくて、お前。……平気なのか?」
当然、アルバートはキャロラインの男性恐怖症をよく知っている。
彼には、彼女が男と行動をともにするなど考えつかないだろう。
「うん、最初は怖かったけど。今は、結構頼りにしてる」
途端にむっとした表情となるアルバートに、からかうような調子でキャロラインが言った。
「もしかして、妬いてる?」
「ばか、そんなんじゃないっ」
赤い顔で横を向くその様子が嬉しくて、思わず笑ってしまう。

アルバートはしばらく不機嫌そうに黙っていたが、ふと真顔に戻って彼女の方に向き直った。
「……でも」
「どうかした?」
「俺たちを襲った奴らの頭は、すぐにその場を離れたはずだ。
 お前の仲間が来たのは、多分そいつが去った後だと思う」
眉根を寄せ、記憶を反芻するように考えこむアルバート。
「確か、トラウゴットとか言ってたな……スカーフェイス以外にも、あんな奴がいたなんて。
 あの顔は忘れもしねえ」
スカーフェイスとは、この街道を中心に荒らし回っている盗賊である。
“手探りで進む者たち”も彼が率いる一団と何度か剣を交えたことがあり、キャロラインもその名前はよく記憶していた。
何度撃退しても立ち向かってくる不死身の盗賊として、冒険者の間でも名が知れている。

アルバートは上体を起こすと、ベッドの傍らにある自らの荷物を手に取る。
先ほど、ヴィヴィオが運んでくれたものだ。
あの後、再び盗賊の襲撃があり、仲間たちは再び任務へと戻っていた。
――みんな、大丈夫かなあ……。
ふとそんな事を考えているうちに、アルバートは背負い袋の中から一丁の拳銃を取り出していた。
黒光りする金属製の銃身が、鈍く剣呑な輝きを放つ。

「それは……」
「ああ、俺の銃だよ。やっと手に入れたんだ」
火薬の詰まった鉛の弾丸を撃ち出す、この強力な武器は、大陸ではまだ一般的なものではない。
大都市では市場に流通しているものの、やはり高価なため、駆け出しの冒険者には手が届かないのだ。

間近で見る銃に目を丸くするキャロラインの前で、アルバートはそれを分解し始めた。
「何してるの?」
「何って……銃の手入れだよ。これは機械だからな。
 きちんと面倒みないとすぐに壊れちまう」
一つ一つの部品を丹念に磨き、元の銃の形へと戻す。
まるで手品みたいに、流れるような作業に、思わず感嘆の吐息を漏らすキャロライン。
「私だったら、元に戻せる自信ないなあ……アルバート、昔から器用だったものね」

キャロラインは微笑みかけたが、彼は銃を手に真っ直ぐ前を見据えていた。
鳶色の双眸が、怒りによって熱を帯びている。
「次に会ったら、こいつで鉛弾を撃ちこんでやる」
低い声で呟くアルバートに、キャロラインは慌てて首を横に振った。
「……アルバート、今は怪我を治すことだけ考えて」
懇願を受け、アルバートは彼女を安心させるかのように笑ってみせる。
「わかってるよ」
しかし、その笑顔にはどこか翳がさしているようにも、彼女には思えた。

湧きあがる不安を打ち消すように、キャロラインは強引に話題を変える。
「そうだ。……これ、返すね。
 お守りがないと、また怪我しちゃうもの」
早口で呟きながら、身に着けていた水晶のペンダントに手をかける。
その時、彼女の指先に鈍い手応えがあった。
「……あ」
慌てて余計な力が入ってしまったのか、ペンダントの鎖が切れてしまっていた。
「ご……ごめん。どうしよう、大切なものなのに」
――どうして、こうドジなんだろう。
悔しさに、瞳が潤んでくる。
「ばか、泣くな。長いこと使ってたから、鎖の寿命が来ただけだよ。
 こんなもの、すぐに直るって。気にすんな」
事も無げに、鎖の切れたペンダントを手に取るアルバート。
俯くキャロラインの頭を、彼は軽く撫でた。優しさが、心を暖かく満たしていく。

その直後、背後から彼女を呼ぶ声があった。
まだ仕事が終わったわけではない。アルバートだけの面倒を見ているわけにはいかないのだ。
「ごめん、もう行かなきゃ。……明日、また来るね」
「ああ」
申し訳なさそうに立ち上がった彼女に、笑って答える少年。
ただ、その笑顔にはまたしても、僅かに翳がさしている。

彼のもとを去る際、キャロラインは言いようのしれない胸騒ぎを覚えた。
そして――その予感は見事に的中してしまうのである。

5.勇気と無謀

数日が過ぎて。
それは、キャロラインが他の区画を巡回する僅かの間に起こった。

戻って、空のベッドを目にした時、キャロラインはまず愕然として立ちつくした。
そこに当然あるべきアルバートの姿はなく、愛用の銃を始めとした彼の装備も消えている。
ただ一つ、壊れた水晶のペンダントだけが取り残されたように、その枕元に置かれていた。
鎖が切れてしまったそれを手に、呆然と呟くキャロライン。

「――アルバート」

焦慮が心を支配する中、必死に考えを巡らせる。
武器が無いということは、すなわち戦いに出たことは間違いない。
再起不能の傷を負った仲間に比べて軽傷とはいえ、アルバートの怪我は重い。
戦闘はおろか、出歩くことさえ禁じられているというのに。
不吉な想像が次々と浮かび、気が遠くなりそうになる。
キャロラインは、それを振り払うように慌てて首を振った。

――落ち着いて。私がしっかりしなきゃ!

アルバートを救えるのは自分だけ――その思いが、キャロラインを支える。
直情的な面はあるものの、彼は目標も無くやみくもに動き回る性格ではない。
きっと、行動を起こすに至った要因があるはずだ。
それさえわかれば、彼を追うことができる。

「すみません。新しい患者さんが運ばれてきたので、少しだけ目を離してしまって……」
同僚の治療師が、申し訳なさそうに頭を下げる。
彼に顔を向けた時、ベッドに横たわる負傷者の姿が目に入った。
ふと、直感が閃く。

「――あの人、どこで怪我をされたんですか?」
「あ……ええと。確か、西の街道沿いだったはずですよ。
 例の、トラウゴットとかいう盗賊の一団がまた出たとかで……」

――トラウゴット。彼と、仲間を傷付けた男。
アルバートは、その名前を聞いて飛び出していったに違いない。
おそらくは――仇を討つために。

「私――患者さんを連れ戻してきます。ここは、お願いできますか?」

決然と言い放ったキャロラインの迫力に、ただ黙って頷く同僚。
軽く頭を下げると、彼女は踵を返して走り始めた。


「おう、どうした。そんなに血相変えて」
息を切らして宿に飛びこんできたキャロラインに、シローが軽い口調で応じた。
「良かった……まだ…いたんだ……」
そこには、武装して準備を整えた四人の仲間の姿がある。
普段ならば、もうすぐ任務へと出発する時間のはずだ。
何とか間に合ったらしい。

「……というか、よく一人で戻って来れたな」
呆れたような、どこか感心したようなヴィヴィオの呟き。
言われてみれば、自分一人で帰って来たのは初めてだったかもしれない。
凄まじく方向音痴のキャロラインは、職場と宿を行き来する際、いつもローラに付き添ってもらっていたのだ。
夢中でここまで走ってきたのだったが、迷わなかったのは奇跡に近い。

「何かあったのかい?」
ただならぬ彼女の様子を心配したのか、スラーヴァが優しく声をかける。
キャロラインは乱れた呼吸を必死で整えながら声を絞り出した。
「……アルバートが……いなくなっちゃったの……」
「何だって?」
「そんな……あの怪我で無茶ですよぅ」
スラーヴァとローラが口々に声を漏らす。
すでに、アルバートとの関係はパーティ全員が知るところとなっていた。

「トラウゴットっていう盗賊がまた出たって話を聞いて……飛び出したみたい。
 きっと、一人で戦うつもりで……私、彼を連れ戻さなくちゃ」
焦りから、キャロラインの口調は自然と早口になった。
そんな彼女に、悠然としたシローの声がかけられる。

「そういうことか、丁度良かったな」
「え?」
驚いて顔を上げるキャロライン。
スラーヴァが、彼女の不安を取り除くように微笑んでみせる。
「俺たちも、今まさにその連絡を受けてね。
 トラウゴット討伐の任務で、これから出発するところだったんだ」
「当然、お前も来るんだろ?」
ヴィヴィオの言葉に、キャロラインは迷わず頷いた。
それを見て、シローも口の端を持ち上げる。
「じゃあ、久々に全員で盗賊退治といくか」
戦いを前にした不敵な笑み。
出会った当初は恐れていた表情が、今は頼もしく映る。


――待っててねアルバート。今、助けに行くから……どうか、無事でいて。

祈りとともに、キャロラインはペンダントを強く握り締めた。


西の街道から少し外れた平原。
周囲にはまばらに草木が茂っており、風が枝葉を柔らかに揺らしていた。

そこで、思い思いに体を休める十対の人馬。
騎手たる男たちは皆、汗と返り血に汚れた革鎧を身に着け、槍や短剣で武装している。
今日の戦利品だろうか、傍らには貴金属や宝石の詰まった袋が積まれていた。
彼らがこの街道を荒らし回っている盗賊であることは、疑いようがない。
略奪と暴力により得た戦果を眺め、男たちは満足そうに笑っている。

その様子を、少し離れた茂みの中から窺っている視線があった。
赤褐色の髪、強い意志を秘めた鳶色の瞳――アルバートだ。

彼の脳裏に、二人の友の悲痛な姿が蘇る。
先日、アルバートは自ら彼らを見舞い、その惨状を目の当たりにした。
苦楽をともにした仲間の、砕かれた冒険の夢――それを思い、彼は湧き上がる嚇怒に身を委ねる。

――見てろ……エルヴェとブレージが受けた痛み、倍にして返してやる……!
決意と呪いを込めて、仇敵を睨む。
盗賊たちの輪の中心。そこに、憎きトラウゴットが腰を下ろしていた。
迷わず、銃口を彼の頭部へと向ける。
十対一。この人数差を覆す手段があるとすれば、まずは一団を率いる頭を潰すしかない。
統制を失えば、必ず混乱を生じるはずだ。そこに、自分が付け入る隙がある。
チャンスは一度。初弾で確実に仕留めなければ、発見されて終わりだ。
息を殺し、集中を高めていく――狙いは、完璧なはず。
引金に指をかけ、そして一気に絞り込んだ、まさにその瞬間。
突風が吹き、巻き上げられた枝葉と砂塵が彼を襲った。

「!!」

視界を奪われ、銃身が大きく揺さぶられる――直後、響く銃声。

――しまった!

狙いを外れ、目標の頭上を空しく通り過ぎる弾丸。
砂と涙で狭まった視界に、周囲の男たちが武器を手に立ち上がるのが見えた。

「鼠か」
泰然と言い放ち、トラウゴットは部下に指示を飛ばす。
素早く騎乗し、統制のとれた動きで周囲に散開する盗賊たち。
そのうちの数騎が、真っ直ぐにアルバートの隠れている茂みへと向かってきていた。
やっと視力は回復したものの、状況は最悪に近い。
傷の残る体では、逃亡する事すら難しいだろう――ならば。

覚悟を決め、アルバートは茂みから飛び出した。
迫り来る騎馬を無視して、ただ一つ狙いを後方のトラウゴットへと定める。

「トラウゴットォっ!!」

自らを鼓舞するかのような疾呼とともに、彼は立て続けに引金をひいた。
――どうせ逃げられないのなら、せめて一矢だけでも報いてやる。
しかし、そんな彼を嘲笑うが如く、弾丸は悉く標的を避けていく。
焦りと死の恐怖が、狙いの正確さを奪い取っていた。
そのまま、戦慄とともに立ち尽くすアルバート。

「殺れ」

トラウゴットの冷酷な処刑宣告。
同時に、馬上から盗賊の槍が繰り出されようとしていた。

6.一繋ぎの強さ

微かに、風の鳴る音が聞こえた。
空を斬り裂いて飛来したそれは、狙いを過たずに盗賊たちへと吸いこまれていく。
痛みに顔を歪める彼らの利き腕には、小さなダーツが半ばまで食い込んでいた。
さらに襲い来る一条の電光。衝撃に揺さぶられ、次々に馬上から転げ落ちる男たち。

「アルバート!」
予想外の救援に呆然とするアルバートの耳に、聞き慣れた少女の声が響く。
キャロラインが長い黒髪を揺らして、こちらに駆け寄ろうとしていた。
「ばか、来るなっ!」
制止に構わず、彼女は真っ直ぐに向かってくる。
注意がそちらへと逸れた瞬間、視界の隅に肉迫する人馬が映った。

――しまっ……!!

彼は思わず目を瞑ったが、その身体を盗賊の槍が貫くことはなかった。
鎧に身を固めた、銀髪の青年。彼が、手にした剣で攻撃を弾き返していたのだ。

「ここは俺に任せて、早く離れるんだ」

馬上からの攻撃を一手に引き受けながら、短く声をかける青年。
それに従い、後に下がったアルバートを心配そうに見つめる少女の姿があった。
案の定、漆黒の瞳はすでに潤みかけている。

「キャロライン……」
「アルバート! 勝手に飛び出すなんて! もう馬鹿馬鹿!」
叫びながら、両の拳で彼の胸を叩くキャロライン。
「わ、悪かった。泣くなよ」
「泣いてないもんっ!」
目にいっぱい涙を溜めて強がる彼女に、アルバートは言葉を詰まらせる。

「ふぅ、何とか間に合ったみたいですねぇ」
「……まあな。まったく手間ァかけさせやがるぜ」
背後からの声に振り返ると、栗色の髪をポニーテールにまとめた長身の少女と、無愛想な金髪の少年が並んで立っていた。
彼女らの姿を認めて、キャロラインが表情をほころばせる。
「ありがとう、ローラ、ヴィヴィオくん」
どうやら、先ほどの射撃と雷撃の呪文はこの二人が放ったものらしい。

「礼を言うには早いぜ。敵はまだまだいやがるからな。
 いいから、お前はそいつの面倒でもみてろ」
ヴィヴィオと呼ばれた金髪の少年が、さも面倒そうに答えた。
その言葉に、アルバートは一瞬ムッとなったが、当のキャロラインは笑顔で大きく頷いている。
訝しげな表情を向けると、彼女はどこか誇らしげに言った。

「あなたが飛び出したって聞いて、仲間と一緒に来ちゃった」
「仲間……」
「そう。あの娘がローラで、ダーツがとても上手なの。
 で、隣が魔術師のヴィヴィオくん。口は悪いけど、凄い魔法を使うんだよ」
少女と少年を順に示しながら、簡単に紹介をしていくキャロライン。
さらに、視線を銀髪の青年へと移す。
「あそこで戦ってるのはリーダーのスラーヴァ。そして――」
ぐるりと周囲を見渡し、彼女は首を傾げた。
「……あれ?」
その直後、男の声が遥か上から響く。
「盗賊のくせに馬に乗るとは生意気だ」
頭上を見上げ、目を丸くして驚くキャロライン。
見ると、黒髪を頭の上で束ね、革鎧を纏った逞しい男が、木の上から眼下を睥睨していた。
「し、シローさん!?」
「そこに来るのを待ってたぜ、死ねぇ!」
叫ぶと同時に、枝を蹴って馬上の盗賊へと飛びかかる。
驚くべき身軽さで馬の首へと降り立つと、男――シローは眼前で硬直する相手に不敵な笑みで凄んだ。
「まどろっこしいのは嫌いなんだ、ここなら逃げられないよな?」
そのまま組みつき、頭から地面へと叩き落す。
自らの常識が通用しないものを、人は激しく恐怖する――あの盗賊の目には、彼は悪鬼の如く映ったに違いない。
「……よし」
敵が沈黙したのを確かめ、シローは次なる標的へ向けて跳躍した。

「……相変わらず無茶しやがる」
近づこうとする騎馬に電撃を浴びせつつ、ヴィヴィオが呆れたように呟く。
ローラも、何本ものダーツを同時に放ちながら彼に答えた。
「わざわざ、あのために木に登ったんでしょうかねぇ」
「じゃねえの? あいつ馬鹿だからな、高いところが好きなんだろ」
呑気な会話を交わしつつも、攻撃は確実に敵を捉え、次第に戦力を削っていく。
驚愕に、ひたすら目を見開いていたアルバートだったが、猛スピードで突進する一騎を認めて表情を変えた。
「……トラウゴット!」
その向かう先には、あの銀髪の青年。
女かと見間違えそうな顔と体格はいかにも頼りなげで、あの突撃に対抗できるとはとても思えない。
慌てて飛び出そうとするアルバートの手を、キャロラインがしっかりと掴んだ。
「大丈夫、スラーヴァは負けないから」
「負けないってお前、あんな細い腕で……」
自信と信頼に満ちた彼女の表情にも、まだ半信半疑のアルバート。

「――頼むぞ、“グレン”」
スラーヴァが剣を構えて、接近する人馬を迎え撃つべく動く。
全てを貫かんと迫る槍。必殺の破壊力を秘めたその一撃を、彼は手にした剣で巧みに受け流していた。
力を逃がされ、バランスを崩したトラウゴットの動きが一瞬止まる。
生じた隙を見逃す事なく、剣で槍を跳ね上げるスラーヴァ。
トラウゴットの手から槍が離れて宙を舞い、やがてそれは乾いた音を立てて地面へと落ちた。
「まだやるかい? 抵抗するなら容赦はしないよ」
スラーヴァの静かな声が、剣の切先とともに盗賊の首領の喉元へ突き付けられる。
その背後から、一騎の盗賊が主を救おうと襲いかかった。
慌てたアルバートが銃を構えるよりも早く、飛来した短剣が襲撃者の片腕を貫く。

「ありがとう」
剣はそのままに、微笑して礼を言うスラーヴァ。
呆気に取られる自分の隣で、キャロラインが会心の表情で頷いていた。

「驚いた? 私の力はこんなものじゃないんだから」
満面の笑顔を向けるキャロラインに、アルバートはただ言葉もなかった。

7.冒険で手に入れたもの

夜の帳の中、小さなランプの灯りが少女と少年の横顔を照らしている。
すでに消灯時刻を過ぎており、病室はどこまでも静かだった。
日中の戦闘で、トラウゴットを含む盗賊たちは全員捕縛され、クジャラナートの警備団へと引渡されている。
アルバートを伴い治療院へと戻った後、キャロラインは溜まった仕事を片付けるのに追われていたのだが、ようやく彼とゆっくり話す時間ができた。
今は、ベッドの脇の椅子に腰掛け、アルバートに付き添っている。

「――でも、本当に無事で良かった。心配したんだから」
「ああ……」

無理が祟ったのだろうか、アルバートは戻るなり、気が抜けたようにベッドへと倒れこんでしまったのだ。
心配したキャロラインは改めて傷の具合を診たが、幸い新たに負った怪我はなく、少し休んだ後には大分回復したようだ。
そのことに安堵したものの、やはり不安は消えない。
ベッドの上で上体だけを起こし、どこか遠くを見ているアルバートに、キャロラインは彼を元気づけようと明るい声で言った。

「シローさんがね、あなたに伝えて欲しいって言ってた。
 『無謀を勇気とは言わないんだぞ、少年』――って」

シローの口真似をしてみたものの、あまり上手くいかなかったようだ。
アルバートは軽く吹き出した後、苦笑しながら呟く。
「俺、あの人にだけは言われたくない……」
常識を超えたシローの戦いぶりは、彼も充分すぎるほど目の当たりにしている。
蛮勇が鎧を纏って歩いているような人間が他人の無謀を諌めようというのだから、それも随分と理不尽な話だ。
顔を顰めるアルバートに、キャロラインも口元をほころばせる。
「ふふ、やっぱり? 悪いけど、私もそう思う」
しばらくクスクス笑っていた彼女だったが、アルバートが暗い顔で俯くのを見て表情を変えた。
「――どうしたの?」
「いや……」
自嘲気味に、言葉を詰まらせるアルバート。
何事もはっきりしないと気がすまない彼にしては、珍しい態度だ。
逡巡の後、アルバートは重い口を開く。
「この半年あまり、俺は一体何をしてたのかなって……考えてた」
「――え」
驚き、彼の顔をじっと見る。
いつも情熱に溢れていた鳶色の双眸は、輝きを失い曇ってしまっていた。
「お前、強くなったよな。
 相変わらず、すぐに泣くけど。度胸が据わったって言うか、
 前にはなかった、自信みたいなものが見えるんだ」
キャロラインと目を合わそうともせず、淡々と言葉を続けるアルバート。
「あんな凄い仲間がいて。お互いに信頼し合ってて。
 何だか――凄く、お前が遠くに行っちまったような気がする」
「――アルバート」
「それに引き替え、俺は何も変わっちゃいない。
 仲間だって、守れなかった――」
肩を震わせ、ただ自らを貶め続けるアルバート。
自分の姿すら、彼の目に映っていないような気がして、キャロラインは思わず声を張り上げていた。
「アルバート! 私を見て!」
弾かれたように振り向いた彼を見つめ、静かに、彼女は語り始める。
「聞いて。私ね、最初は仲間に馴染めなかった。
 男の人はやっぱり怖かったし……どうしても、一人だけ足手纏いになってる気がして。
 でも、みんなが教えてくれた。私には、私にしかできないことがあるってこと。
 私はまだまだ弱いけれど、みんなと一緒に戦うことで強くなれるの」
言葉を区切り、そこでもう一度アルバートの顔を見る。
自分の弱さも強さも、全部、彼に伝えたかった。
「キャロライン……」
「人って、一人じゃ生きていけないのよ、きっと。
 だから、そばにいてくれる誰かが欲しいのかもね」

――そう、だから。私はあなたと一緒にいたい。
彼と再会してから、ずっと心の奥底にあった欲求。
とうとう堪えきれず、キャロラインは思いきって切り出した。

「ねえ、アルバート。もし良ければ、私たちと一緒に……」
「駄目だ。それはできない」
最後まで言い終わらないうちに、それを否定するアルバート。
たちまち落胆に沈む彼女に、彼は決然と言い放った。
「今の俺がパーティに入っても、ああは戦えない。
 あれは、お前も含めた、あの五人だからできるんだ。それを壊したくない」
少し間をおいて、彼はキャロラインへ微笑みかける。
「それに――俺にも仲間がいる」
でも、彼らはもう冒険には出られないのではなかったか。
キャロラインの心の動きを読み取ったかのごとく、アルバートは確信をこめて頷いた。
「しばらく冒険には出られないだろうけど、きっといつか戻って来れるさ。
 あいつらが、そう簡単にへこたれるわけはないからな」
そう言ったアルバートの瞳は、すでに輝きを取り戻している。
安堵と寂しさが入り混じるなか、キャロラインは彼に問い掛けた。
「これから、どうするの?」
「そうだな。傷が治ったら、一度フロースパーに戻ろうと思う。
 どこかのパーティに臨時で入って、しばらく依頼でもこなすよ」
少年らしく、清々しい笑顔。
再び別れの時が近づいていることを悟り、声を湿らせるキャロライン。
「また……離れ離れなんだね」
「だから泣くなって」
「でも――」

我慢しようとしても、涙は次々と溢れて止まらない。そんな彼女の身体を、二本の腕が包みこむ。
不意に抱き寄せられ、泣くのも一瞬忘れたキャロライン。その耳元で、彼は優しく囁いた。

「次に会う時には、驚くほど強くなってみせるからさ。
 そしたら――ずっと、俺はお前のそばにいるよ」

自分の頭を撫でるアルバートの手。
その暖かさに身を委ね、キャロラインは彼の胸で泣き続けた。

8.その輝きとともに

その日は、朝から雲一つない青空が広がっていた。
カーテン越しに透ける日差しの眩しさに、眠い目をこすりながら起き上がったローラは、隣のベッドにキャロラインの姿が無いのを見て首を傾げる。
「あれ? キャロラインちゃん、今日は随分早いんですねぇ……」
寝起きの悪い彼女が、自力で早起きをするのは珍しい。
訝るローラの視界の隅に、机の上に置かれた一枚の紙が映った。
「?」
取り上げ、ざっと目を通す。筆跡から、キャロラインが書いたものだろう。

――アルバートを見送りに行って来ます。 キャロライン

内容は至って簡潔なものだったが、ローラは妙な胸騒ぎをおぼえた。
そういえば、昨夜は少し様子がおかしくはなかったか。
「ま、まさか……!」
不吉な予感が脳裏をよぎる。
身支度もそこそこに、ローラは部屋を飛び出していた。


「た、大変ですぅ。キャロラインちゃんがぁ」
「おはよう。そんなに慌ててどうしたんだい?」
起きたままの格好で食堂へと駆けこんできたローラを、スラーヴァが爽やかな顔で迎える。
卓には、すでにシローとヴィヴィオの姿もあった。
朝の挨拶も忘れたまま、ローラは彼らにキャロラインの書置きを差し出す。
「これが枕元に置いてあったんですぅ」
受け取り、それを一読してスラーヴァは微笑した。
「ああ、そういえば今日だったね」

そう、この日はアルバートの出発の日だった。
すっかり傷も癒え、乗り合い馬車でフロースパーへと行くという。
ギルドに戻り、彼は新しい仲間を探すのだろう。
しかし、彼女が伝えたいのはそんな事ではない。

スラーヴァの落ち着いた態度に多少苛立ちつつ、ローラは珍しく早口で訴えた。
「そんな事言ってる場合じゃないですぅ。キャロラインちゃん、
 このままアルバートさんと一緒に行っちゃうかもしれませんよぉ」
同じく、書置きを読み終えたヴィヴィオが軽く吹き出す。
「大げさだなお前は。ただ見送りに行ったってだけだろ」
「でもぉ。折角会えたのにまた離れちゃうって、凄く落ちこんでたんですぅ。
 もしかしたら、別れるのが嫌で、ついて行っちゃう可能性だってあるじゃないですかぁ」

一緒に冒険をする希望を断たれ、ここ数日のキャロラインはどうしても沈みがちだった。
盗賊騒ぎが落ち着きつつあり、治療院での仕事も一段落した今、その可能性が無いとはいえない。

「……そういえば、出かけたのは随分朝早くみたいだったな」
黙って話を聞いていたシローが、ぽつりと言う。
どうやら、彼女が隣の部屋から出ていく際の物音を聞きつけていたらしい。
それを聞いて、スラーヴァも微かに眉を寄せた。
「見送りに行ったにしては、ちょっと帰りが遅いね」
「どーせ、また道にでも迷ってんだろ」
まだ眠いのだろう。欠伸を噛み殺しながら、投げやりにヴィヴィオが言う。
「そんなぁ。だってあんな一本道、迷うわけがぁ……」
フロースパー方面の街道へ続く道は、この街でも一番の大通りだ。
キャロラインがいかに方向音痴といえど、迷子になるはずがない。
そう言いかけた時、食堂の扉が小さく音を立てて開いた。

「……ただいま」
「キャロラインちゃん!」
ローラがキャロラインに駆け寄ると、彼女は涙目でしゃくりあげた。
「やっと帰って来れた……」
「ふえ? まさか、迷子になっていたんですかぁ?」
呆然とするローラの前で、小さく頷くキャロライン。
背後から、ヴィヴィオの呟きが漏れた。
「……ほらな、だから言ったろ」
「一体どうやったら、あの道で迷えるんだ?」
シローも、半ば呆れたように肩をすくめる。
「まあまあ、無事に帰ってこれたんだから」
微笑を崩さずに窘めるスラーヴァの言葉が終わらないうちに、ヴィヴィオは席を立ってキャロラインに歩み寄った。
そして、さも面倒そうに口を開く。
「あーもう面倒くせえ。いいか、キャロライン。
 お前は一人で外に出るな。出るなったら出るな!」
「ひどい、ヴィヴィオくん。私だって好きで迷ってるんじゃないもん」
瞳に涙を溜めたまま頬を膨らませるキャロラインに、声を張り上げるヴィヴィオ。
「好き嫌いの問題じゃねえんだよ。いつもいつも心配かけやがって!」
「そのへんにしておけよ、ヴィヴィオ」
スラーヴァが苦笑しながら肩を軽く叩くと、彼は不貞腐れたように横を向いてしまった。

その様子を眺めていたローラだったが、キャロラインの首に下げられたペンダントを見て思わず呟く。
「あれぇ? そのペンダント……」
「うん、また預かることにしたの」
自らの涙をハンカチで拭き、ペンダントを手に取るキャロライン。
「決めたの。これを返す時までには、私、看護師になっていようって」
そう言って笑った彼女の顔には、いつもの元気が戻っていた。
「そうですかぁ。キャロラインちゃんなら、きっとすぐですよぉ」
「――ありがとう」

彼女の胸元で、新しい鎖とともに水晶が揺れる。
また会う日が来るまで、それはアルバートの代わりにキャロラインを守り続けるだろう。

――その時も、またこんな晴れた空ならいい。

澄み渡る天を映したような水晶の輝きに、ローラは心からそう願っていた。


〔執筆者あとがき〕

キャロラインが主役の物語ということで、彼女の設定の中から“初恋の君”と“水晶のペンダント”というモチーフを抜き出してエピソードを組み立ててみました。

メンバーの恋愛を題材にしているという点では第2話と同様ですが、あからさまに“男と女の関係”であったあちらと異なり、幼い初々しさを強調しています。
書いている側としては、むしろこういった雰囲気の方が変に照れてしまうのですが、どうしてでしょうね。

この連作長編もいよいよ折り返し地点を迎えました。
クライマックスに向け、次の第6話からはがらりと雰囲気が変わります。
今までに明かされなかったキャラクターの過去と心の闇、それらが織り成す悲劇。
どうか、最後までご覧いただけると幸いです。