“手探りで進む者たち”
(The Fumblers)

第4話
魂を継ぐ剣
AkiRa(E-No.633PL)作
2004/04


1.新たな力 5.そして彼は雨の中へ
2.優しすぎる戦士 6.俺たちは独りじゃない
3.亡き友の追憶 7.剣と盾の誓い
4.乱戦に潜む暗雲 8.英霊は風となりて
〔執筆者あとがき〕


1.新たな力

冷たさをはらんだ風が、早朝の広場を吹き抜けていった。
冬も終わりに近づいているとはいえ、この時間はまだ肌寒さが残る。
その冷涼な空気の中、対峙する二人の冒険者。

銀髪に紫紺の瞳の美青年と、黒髪黒瞳の戦士ースラーヴァとシローだ。

スラーヴァは愛用の戦杖を手に、やや緊張した様子で間合いを測っている。
対するシローは素手のまま、特に気負った様子も無く構えを取っていた。
――いや、正確には素手とは呼べない。金属製の手甲が、彼の前腕から手を覆っている。
腕だけではなく、両の下腿も同じ素材の脛当てが鈍い光を放っていた。
これこそが、彼の新しい武器。

向かい合う二人を眺めつつ、ヴィヴィオは欠伸を噛み殺していた。
いつもならまだ寝ている時間なのを、強引に叩き起されたのだ。
傍らにはローラとキャロラインの姿ー二人とも、はらはらとした表情で前を見ている。
無理もない。そもそも、スラーヴァがシローと正面から戦うこと自体が無茶なのだ。

シローがあの武器を手に、これからは格闘家になると告げたのは昨晩のことだ。
いつの間にか、知り合いの武器職人に作成を依頼していたのだという。
ただ、彼は預けていたパーティの資金まで無断で使ってしまったらしく、ローラとキャロラインの二人にたっぷり絞られていたが。

ともかく、実戦の前に一度試してみようということになった。
最初は訓練所に行こうとしたのだが、意外にも、スラーヴァがその相手を買って出た。
やめた方が良いと、キャロラインあたりは随分と心配したものだったが、彼はいつものように微笑したまま、前言を撤回しようとはしなかった。

「――いいか? そろそろ始めるぜ」
砂時計を手に、ヴィヴィオが二人に問う。
「ああ、俺は構わない」
「おう」
返事を聞き、そのまま砂時計を逆さにする。
この砂が落ち切るまで。それが、模擬戦の制限時間だ。
他に、ルールは特に定めてはいない。魔法の使用も自由だった。

開始と同時、素早く間合いへと飛び込んで来たシローを前に、スラーヴァは軽い集中とともに聖句を唱えた。
『――守りの盾よ、我のもとへ来たれ』
淡い光が彼の身体を包む。
魔法で作られた防壁――これの前には、生半可な攻撃は通用しない。

シローはそれを見たが、構わずそのまま拳を繰り出した。
障壁の手応えを一度確かめ、攻撃の対象をスラーヴァの杖へと移す。
まずは相手の武器を無力化しようというのだろう。

このあたり、シローの動きにはまったく無駄がなかった。
およそ一朝一夕で身に着けられるものではない。
格闘技には明るくないヴィヴィオも、それは充分にわかる。

――そういえば、ここ最近やけに早起きだったな、あいつ。

思い返せば、何度か拳を潰して帰り、キャロラインの世話になっていたような気もする。
この短い間に、シローが影でどれだけの修練を重ねてきたのか。
流れるような体捌き、そして魔法の防護すら徹す威力。それが、彼の努力を何よりも雄弁に語っていた。

対するスラーヴァは防戦一方ではあったが、纏った金属鎧と魔法に助けられ、辛うじて致命的な打撃を避けている。
戦況が膠着状態へと陥るかと思われた、その時だった。

「唸れぇ!“武甲オサフネ”!」
シローが自らの武器の名を叫びつつ、気合とともに渾身の回し蹴りを放つ。
この名前を聞くたび、ヴィヴィオは「もう少しマシな名前はなかったのか」などと思うのだが、そんな呑気な事を考えている状況ではなかったらしい。

……みしり、という嫌な音が、彼の耳へと届いた。

2.優しすぎる戦士

「……スラーヴァ!」
悲鳴のようなキャロラインの声が響く。ローラもまた、青ざめた顔で息を呑んでいた。
シローの蹴りは、光の防護の間隙を突きスラーヴァの脇腹を直撃したのだ。
苦悶の表情とともに、膝をつくスラーヴァ。おそらく、肋骨の数本は折れているだろう。

これで終わりかと思われたが、シローはまだ構えを解くことなく立っている。
蹲るスラーヴァの口から、微かに聖句が漏れた。

『……光よ、癒しの浄化を我へ』

彼の得意とする治癒の神聖魔法。しかし、あの怪我ではそれでも不充分だろう。
事実、よろめきながら立ち上がったスラーヴァの顔は苦痛に歪んでいた。
それでもなお、彼は戦杖を構える。まだ、戦意は失っていないようだ。

「悪ぃが、遠慮はしねえぜ」
「……ああ、全力で来てくれ」

短く言葉を交し合い、戦いへと戻る両者。
再び襲い来るシローの猛攻を、必死で凌ごうとするスラーヴァ。
それだけではなく、今度は自ら攻撃にも転じる。
壮絶な打撃戦が、ヴィヴィオ達の目の前で展開されていた。


「おい、時間だぜ……」
いつの間にか止まっていた砂時計を確認し、少し慌てて模擬戦の終了を告げるヴィヴィオ。
それを聞き、戦いに没頭していた両者もようやく動きを止めた。
あの後、シローは幾度と無くスラーヴァに痛打を浴びせていったが、そのたびにスラーヴァは自らの魔法で回復を行い、最後まで踏み止まり続けた。
結局、互いに決め手を欠き引き分けに至ったのだが、まだ体力に余裕を残していそうなシローに対し、スラーヴァの顔色は既に蒼白に近い。短時間に負傷と治癒を繰り返した無理が祟ったのだろう。

「スラーヴァ、手当てを……」
「ああ、大丈夫……心配はいらないよ。思ったより、大したことはないみたいだから」
気遣わしげに声をかけるキャロラインに、彼は無理に笑って答えを返す。
ヴィヴィオの目には、それがかえって痛ましく映った。
「お前も物好きだよなあ。何も人形どもの代わりに殴られることはねーだろ」
思惑とは裏腹に、ついつい軽口を叩いてしまう。

「はは、流石に厳しかったかな……。
 でも、これからはそう甘えてはいられないからね」
「?」
その言葉に、軽く首を傾げるヴィヴィオ。
決意に満ちた瞳で、はっきりとスラーヴァは言った。
「俺ね、本格的に戦士を目指そうと思うんだ」
「――本気かよ」
軽い衝撃を覚えつつ問い返す。
彼は、真っ直ぐにヴィヴィオの顔を見てもう一度頷いた。
「ああ。最近は、剣の訓練にも通い始めたしね」

確かに、スラーヴァはシローと並びパーティの前衛を務めている。
攻撃はシローに任せ、自らは後方にいるヴィヴィオやローラ達の前に立ち、それを守ってきた。戦士への道を志そうとするのは、ある意味では自然なことかもしれない。

しかし、スラーヴァはもともと争いを好む性質ではない。
普段でも、街中では武器を持ち歩く事さえ滅多にないくらいの平和主義者なのだ。
そんな彼が、剣を手に敵陣へと斬りこんでいくという姿は、ヴィヴィオにはとても想像ができなかった。

ヴィヴィオの葛藤をよそに、シローがスラーヴァの方へと歩み寄ってきた。
手甲の具合を確かめながら、ぶっきらぼうに声をかける。
「付き合せて悪かったな。おかげで大分感覚が掴めた、礼を言うぜ」
「いや、こちらこそすまなかったね。あまり相手にならなくて」
「充分だ。見かけによらずしぶといんだからな、お前は」
「それだけが取柄だからね」
微かに眉を動かして言うシローに、冗談めかして答えるスラーヴァ。

「シローさぁん! 模擬戦だからって、無茶はしないで下さいよぉ。
 あんな事続けたら、スラーヴァが壊れちゃいますぅ」
呑気に談笑する二人に、耐えかねたようにローラが言う。先ほどの試合は、さぞかし心臓に悪かったに違いない。
「大丈夫だ、そんなヤワじゃねえよ」
「そういう問題じゃないですぅ。そもそもぉ……」
さして悪びれた様子もないシローに、彼女はますます口を尖らせかけたが、彼はすでにその場を離れていた。
傍らに立てかけてあった剣を手に取り、スラーヴァの方へと戻る。
「ああ、忘れてた。――ほれ」
ごく軽い口調とともに、剣を手渡すシロー。

「……これは」

――かつて、スラーヴァとヴィヴィオの仲間だった戦士が所持していたシャムシール。
彼の死によって使い手を失い、その後シローへと預けられていたものだ。

「俺にはもう必要無いからな。お前に返すぜ」

シローの言葉に、スラーヴァはどこか遠い目で頷きを返すだけだった。

3.亡き友の追憶

「明日はぁ、いよいよ出発ですねぇ。ぶたさんって強いんでしょうかぁ?」
「ぶたさんじゃなくってオークでしょ。
 ……んー、わからないけど、何とかなるんじゃないかな」

宵の口を迎えた『涼風亭』。そろそろ、夜の常連客がやってきて賑やかさを増す時間帯だ。
食後のお茶をすすりつつ、どこか呑気な会話をするローラとキャロラインの二人がいる。

あの模擬戦より数日が過ぎ、新たなる冒険の出発が明日に迫っていた。
今回の依頼は南のザガン地方へと赴き、そこで最近猛威を奮っているというオークを討伐すること。
オークとは豚に似た顔を持つ知的種族で、街道では盗賊と並んで旅人に恐れられる存在である。一体一体の戦闘力はそれほどではないものの、とにかくその数の多さに悩まされるのだ。意外と賢いらしく、中には魔法を使いこなす個体もいるという。
いずれにしても、冒険者にとってはさほど恐ろしい相手ではない。油断さえしなければ、今の戦力で充分に渡り合えるだろう。

ぼんやりと、そんな事を考えていたヴィヴィオは、ふとスラーヴァの姿がないことに気付いた。
「そういえば、スラーヴァの奴はどうしたんだ?」
その声に、キャロラインがはっとして周囲を見回す。
「あれ? そういえばいないね?」 
「ご飯の後、二階に上がっていったみたいですけどぉ。
 明日の準備でも、してるんでしょうかぁ?」
「でも、珍しいよね。いつもなら、とっくにそんなの済ませているのに」
顔を見合わせ、不思議そうに首を傾げる二人に、そっけなく言葉を返すヴィヴィオ。
「……ま、たまにはそんな事もあるだろ」

この場にはいないのはシローも同じだったが、彼が宿を空けがちなのはいつものことだ。
大体、それで心配されるような男でもない。

「とりあえず、俺も早めに寝とくわ」
なおも談笑を続ける二人に軽く声をかけ、ヴィヴィオは階段を上っていった。
自室へ戻る前に、その隣の部屋を軽くノックする。

「いるんだろ? 入るぜ」
返事を待たずに、そっと扉を開ける。
やや薄暗い部屋の中、スラーヴァが自らのベッドに腰掛けていた。
旅の準備はやはり終えていたらしく、部屋の片隅に荷物が几帳面にまとめられている。
鞘に収まった剣を膝の上に載せ、視線は真っ直ぐ正面へと向けられていた。
スラーヴァの親友であり、この剣の最初の所有者であったグレンが最期の時を迎えた場所。
今は空となったベッドが、やけに寂しく眼に映る。

「それ、持って行くのか? ――明日」
ヴィヴィオの問いに、無言で首を横に振るスラーヴァ。
少しの沈黙の後、呟きにも似た返事が漏れる。伏目がちの表情は、愁いに沈んでいた。
「まだ……俺にはこれを使いこなせない」
「……そうか」

スラーヴァの両手にしっかりと握られてる剣を見て、ヴィヴィオはふと、過去に思いを馳せる。

「早いもんだよなあ。もう、四ヶ月になるのか」
「……ああ」

――グレン・ピッツバーグ。剣士を目指していた青年の死は、あまりに突然だった。
若く健康であったはずの彼の命を奪ったものが何だったのか、その原因は今でもわからない。
ただ一つ言えるのは、グレンに宿る精霊の力のバランスが大きく崩れたのだということ。

近年、この大陸で大きな異変が起りつつあった。
地水火風、そして光と闇の六種の精霊。世界の法則の全ては、これらの影響下で成り立っている。古来より互いに干渉しあい、均衡を保っていたはずのそれが、どこか狂い始めているらしい。
魔法の暴走、異形と化す生物……ささいな精霊力の乱れでも、時にそれは大きな歪みに繋がる。
世界をも揺るがし得る大きな災厄。もしかすると、グレンを襲ったのは、そのごく小さな余波だったかもしれない。しかし、人間はその力の前にはあまりに無力な存在だった。
発達した医療も、癒しを司る神聖魔法もまるで効果をあらわすことはなく。
グレンの逞しかった身体が衰弱し、彼の生命が失われるまで……ほんの数日と必要としなかったのだ。

「あいつ、死ぬまで剣を握り締めていたっけな」
「これは――グレンの夢そのものだったからね」

訓練所にて、自動人形を相手に剣を振り下ろすグレン。
宿の裏庭、時間の合間をぬって黙々と素振りを行うグレン。
一日たりとも、剣の手入れを怠ることの無かったグレン。

ヴィヴィオの記憶の中で、彼は常にこの剣とともにあった。

――俺の代わりに、こいつを連れていけ。

死の間際、震える手でなおも剣を握り、最期の瞬間まで決して手放そうとしなかった、それが彼の遺言だった。
冒険に強く憧れながらも、結局それが叶うことは無かった。
誰よりも、無念であったのは本人に違いない。

そして、ヴィヴィオは思う。
スラーヴァが戦士の道を選んだのは、もしかするとグレンのためかもしれない。
彼の魂が宿る剣を携え、ともに冒険に出るために。

同時に、スラーヴァはその重さを、一人で背負うつもりではなかろうか。
自分の何を犠牲にしても、グレンの夢を受け継ごうと考えてはいないだろうか。

思いつめたようなスラーヴァを前に、ヴィヴィオはその心配をとうとう口に出すことができなかった。

4.乱戦に潜む暗雲

ザガン地方、鉱業都市アズユールの街道沿いを少し離れた山岳地帯。
むき出しの岩石が連なる、その中腹にて戦いは行われていた。
敵はオークの一団……彼らの住処となっているだろう、洞穴の警護にあたっているものたちだ。
「飛んでけぇ〜!」
ローラの声が高くこだまし、山々の奥へとすいこまれてゆく。
同時に放たれたダーツが、狙いをたがわずオークの肩へと命中する。
短く悲鳴を上げ、手にしていた武器を取り落とすオーク。

「ぶたさ〜ん、ごめんなさいねぇ」
苦悶する敵を一瞥し、次の相手へと狙いを定めるローラ。
もともと“投げる”ことは得意だったらしい。
その適性に見合う武器を手に入れてからというもの、彼女の活躍は目覚しかった。
今では、ヴィヴィオの魔法と並んで射撃戦の要となっている。

『光の盾よ、みんなを守って!』
キャロラインの祈りとともに、パーティの全員が淡い光へと包まれてゆく。
看護師の修業の一環として神官の資格を得、そこで覚えた守りの神聖魔法だ。

援護を受け、シローが一気にオークの一団へと飛びこんでいく。
「……ちぇりゃあ!」
一瞬にして間合いを詰めると、その場で反転し、強烈な回し蹴りをオークの首へと見舞う。
鈍く嫌な音が響いた後、糸が切れたようにくずおれるオーク…その首はあらぬ方向に曲がっている。一撃で頚椎をも破壊する、凄まじい威力だ。

シローが切り込んだため、薄くなった前線の防御はスラーヴァが支えていた。
戦杖を巧みに扱ってオークたちの槍を受け流し、後方の三人への攻撃を食い止めている。
彼が時間を稼ぐ間、ヴィヴィオは集中とともに呪文を唱えた。

「一気に片付けてやる――切り裂け! 『クラウ・ソラス』!!」

光の奔流が唸りを上げ、残るオークへと襲いかかっていった。


「あらかた終わったか。――な、力押しで良かったろ?」
オークの殲滅を終え、仲間を振り返りつつシローが言う。
その悪びれない口調に、少女たちが一斉に抗議の声をあげていた。
「良くありませんよぅ。一時はどうなるかと思いましたぁ……」
「そうですよ、シローさん。作戦も立てずに、いきなり飛びこんでいくんですから」

洞穴を最初に発見した際、見張りの数の多さにスラーヴァは警戒を呼びかけたが、シローは「力押しが手っ取り早い」と、制止する間も無く突っ込んでいったのだ。
幸い、他のメンバーもすぐ後に続き、陣形を整えられたので、そう苦戦はしなかったが。

「豚ごときに策を弄する必要なんかねぇだろ?」
まどろっこしい事が嫌いなヴィヴィオも、シローに同意する。
結果的に難なく殲滅できたのだから、問題は無いだろう。
そんな彼らに、スラーヴァは苦笑しつつ呟いた。
「やれやれ、血の気の多い奴らと組んだのが不運ってね。
 でも、次からはもっと慎重に頼むよ」
「もぉ。仕方ないですねぇ」

溜め息を漏らすローラをよそに、守るもののいなくなった洞穴に視線を巡らせるヴィヴィオ。
「で、今更だけどさ、こん中入んの? 豚臭ぇなぁ……」
「また洞窟……」
キャロラインの表情が曇る。おそらく、以前に同じような場所で仲間とはぐれたのを思い出したのだろう。ローラも、そんな彼女を心配して声をかける。
「キャロラインちゃん、わたしたちにしっかりついてきてくださいねぇ」
「う、うん」

ヴィヴィオは洞穴の入口に歩み寄り、中を覗いてみた。
どこまでも中は暗く、奥は深そうだ。住人のイメージがそうさせるのか、どことなく空気が澱んでいるような気がする。
「岩だらけだし、崖は多いし。こんな所に、よく住む気になるよなぁ……あいつら」
横を向き、仲間たちのすぐ背後に広がる崖を見て呆れたように呟く。

意識が崖の方へ向けられていたその時。
洞窟の奥から、急速に近づいてくる生物の気配をヴィヴィオは感じた。
それも、かなりの数だ。
「――って、マジか!?」
慌てて振り返り、仲間に警告しようとするが時すでに遅し。
現れたオークの群れ。ヴィヴィオはその流れにもろに巻きこまれていた。
「おい、新手だ……っ!? うわあぁー!!」

「ヴィヴィオ!」
異変を察し、スラーヴァが叫ぶ。
「ローラ、キャロライン、後ろに下がって……――っ!?」
二人を庇うように前に出ようとしたその時、スラーヴァの足元の岩が突如として崩れた。
「うああああっ!!」
足場を失い、そのまま後方の崖へと転落するスラーヴァ。
遠ざかる叫び声とともに、彼の姿は視界から消えていった。

「きゃあ、スラーヴァ!?」
次々に襲い来るアクシデントに、キャロラインが混乱気味に悲鳴をあげる。
「ちぃっ!!」
舌打ちとともに、新手へ立ち向かうシロー。
オークの攻撃を手甲で受け止めつつ、半ばパニック状態の少女たちに怒鳴る。
「あぅ〜、どうしましょう。スラーヴァがぁ」
「落ちつけ! まずは自分の心配をしろ!」
「でもぉ」
「スラーヴァなら大丈夫だ! あいつがそう簡単に死ぬはずがねえ!」
そう言うシローの口調からも、いつもの余裕は吹き飛んでいた。

「一体何が起ってやがる……どけって、くそっ!」
なおもオークの波にもまれながら、ヴィヴィオは己の小さな身体を呪っていた。


「ぜぃ、ぜぃ……ど、うだ、豚、どもめ……」
今度こそ動くものがいなくなったのを確かめると、ヴィヴィオは肩で息をしつつ悪態をついた。
洞穴の入口には再び静寂が訪れ、しばらく新手が来る気配もない。
「とりあえずは、これで全部か。しかし……はぐれたか、まずったな」
スラーヴァが消えた崖の方を見やり、眉を顰めるシロー。
キャロラインが、青ざめた顔で呆然と呟く。
「スラーヴァ……」
「ち、めんどーな事に……」
ヴィヴィオはやっと立ち上がると、崖へ歩み寄って叫んだ。
「スラーヴァ、生きてたら返事しろー! 豚どもに嗅ぎつけられる前になー!」
霧が深く、どれだけの高さがあるのかは判別がつかない。
万が一のことなど、考えたくもなかった。

彼の声が崖下へすいこまれて数分後。
霧の中から、崖を這い上がるスラーヴァの姿を見つけた、その時。
全員が、思わず安堵の声を漏らしていた。

「スラーヴァ! 良かった、無事で……」
「心配かけてごめん。大丈夫、怪我一つないから」
泣きながら喜ぶキャロラインに、どこか浮かない顔でスラーヴァが答える。
顔にいくつか擦り傷ができ、服は土で汚れていたが、特に大きな怪我はなさそうだ。

「どーした? 何かあったか?」
「いや、何でもない……」
ヴィヴィオの言葉に、彼は沈んだ声でそう応じた。

5.そして彼は雨の中へ

「何だよ、ずいぶん急に雲が出てきたなあ……おい」
薄暗い曇天を見上げて、ヴィヴィオが一人呟く。
晴れていたはずの空は一面黒い雲に覆われ、今にも雨が降り出しそうだ。
自分の心まで暗く沈みそうな気がして、彼は早々に宿の中に戻ることにした。

せっかく冒険が終わって、やっと街に帰って来たというのにこの天気だ。
ヴィヴィオでなくとも、悪態の一つくらいつきたくなるというものである。

「――ち、やっぱり降ってきやがった」
舌打ちしつつ、足を早める。
雨の雫が、まばらに石畳を叩き始めていた。


「あ、ヴィヴィオくぅん! スラーヴァ、見ませんでしたか?」
「ん? 奴なら部屋じゃねえの?」
宿に入るなり、慌てた様子のローラに出迎えられたヴィヴィオは、怪訝な表情で問い返した。
「それがぁ、いないんですよぅ。いつもならぁ、黙って宿を出たりしないのにぃ……」
大げさに騒ぎたてる彼女に軽く吹き出しつつ、軽い口調で答える。
「子供じゃねえんだから、たまにはそんな事もあるだろ」
「でもぉ……」
「でも、何だよ?」
「ないんですよぉ。あのぉ、シローさんが使っていた剣……」

その言葉に、ヴィヴィオも表情を変えた。
――スラーヴァと一緒に消えたグレンの剣。それが一体、何を意味するのか。

「シローさんが持ち出すはずはないですしぃ。
 スラーヴァだって、普段なら出掛ける時に持っていったりはしませんよねぇ?」
「だな。俺がいくら言っても聞きやしねえんだから、あいつ」
フロースパーの治安は案外悪い。一般市民でさえ、護身用に武器を持ち歩く者は多い。
それなのに。スラーヴァは力を手にすることを嫌い、丸腰で出歩くことがほどんどなのである。

「最近様子がおかしかったのでぇ、心配してたんですぅ。
 その、ほらぁ……あの、崖から落ちた時あたりからぁ、
 何だか悩んでるみたいでぇ……」
「……」
「とにかくぅ、わたしとキャロラインちゃんでちょっと探してきますぅ。
 シローさんは、まだ戻ってこないですしぃ」
彼女にしては早口でそう言うと、ローラは慌しく外へと駆け出していった。
その場に一人残され、ふと、ここ最近の出来事を思い返すヴィヴィオ。

確かに、あの時からスラーヴァは精彩を欠いていた。
心ここに在らずといったように、動きや指示にいつもの切れが無いのだ。
崖から落ちた際に武器を紛失し、オークが使っていた槍を間に合わせで手にしていたため、慣れない武器の扱いに戸惑っていたというのもあると思うのだが――どうにも、それだけが原因とは考えにくい。
事実、オーク討伐を終えたあとも、彼の表情は暗いままであったし、帰りの道中、時折思いつめたように考えこんでしまうことも一度や二度ではなかった。
ローラたちが心配して声をかけても、スラーヴァは曖昧な微笑で「何でもない」と繰り返すばかりで、決して何も語ろうとしない。

――何でもないはずがないだろう。
おそらく全員がそう思っていただろうが、追求する者は一人もいなかった。


彼の悩みが何に起因するのか、ヴィヴィオには見当がつかない。
ただ、その行き先には一つだけ心当たりがある。

「まったく、世話のやける奴だよなあ」

自室から雨避けのコートと傘を引っぱり出し、それを着込みつつ呟く。
外に出ると、どんどん強まっていく雨脚が、冷たく街を濡らしていた。

早足で目的地へと向かおうとしたヴィヴィオだが、ふと足を止めた。

「――久しぶりに会うってのに、手ぶらってわけにいかねえよな」

踵を返し、手近な店を探して走る。
手土産を何にしようか考えながら、失った友の顔を思い浮かべた。

「しかし、あいつ……一体何が好きだったんだ?
 とりあえず、適当に酒でも買ってくるか」

呟きながら、ヴィヴィオは確信していた。

――そう。スラーヴァはきっと、グレンのもとにいる。

6.俺たちは独りじゃない

街の郊外に位置する共同墓地。
行程の半ばで倒れた旅人や、無念にも命を落とした冒険者たちが数多く眠る場所。
身寄りのなかったらしいグレンもまた、ここへと葬られている。

予想通り、スラーヴァはここにいた。
周囲には他に人影もなく、独りで。
雨の中、傘もささずに、ずぶ濡れで立ち尽くしている。
その手にグレンの剣を携え、じっと墓石と向かい合っていた。

「――すまない、グレン」
ヴィヴィオはすぐさま彼に声をかけようとしたが、物言わぬ墓石へと語りかけるスラーヴァの姿に、しばし思いとどまった。
そのまま、少し離れた場所から様子を窺う。

「まだ使いこなせないんだ。これでも、鍛えたのだけれどね。
 努力が足りないのかな……」
愁いを帯びたスラーヴァの声が、雨の音とともに墓地へしんと響く。
努力の問題であるはずがない。元々、グレンとスラーヴァでは体格が違いすぎるのだ。
彼がいくらグレンに近づこうとしても、それは到底かなわぬ相談だろう。
事実、もっと軽い剣ならば、スラーヴァはもうそれなりに扱える。
あの模擬戦以来、剣の特訓を続ける彼を見てきたヴィヴィオは、それを知っていた。

しかし。スラーヴァにとって重要なのは、“グレンの剣”とともに冒険に出ることだろう。
他の剣では、きっと意味がないのだ。

「君は、俺を信じてこれを託してくれたのに――何一つ、応えられない。
 情けないよな、本当に……」

スラーヴァの口調は、自嘲と悲嘆の色に満ちていた。

「笑ってくれ、グレン。過去に誰も救えず、今もなお無力な俺を。
 そんな俺に――この剣はあまりに重すぎる……」

――もう、見てはいられない。
ヴィヴィオはスラーヴァのもとに歩み寄ると、その横に並んだ。
驚き、視線を向けてくる彼とは目を合わさずに、真っ直ぐ墓石に向かい合う。

“グレン・ピッツバーグ”――まだ新しさを残す墓標には、そう刻まれていた。
墓碑銘は、無い。

「よう、グレン。一度も墓参りにこねぇですまなかったな。
 土産を持ってきたから許してくれや」

持参した酒を、右手で軽く持ち上げつつ、彼は亡き友へと語りかけた。

「けど、俺ぁ、お前が好きなモンも嫌いなモンも、知らねぇんだよなぁ。
 もっとお前と話しておけばよかったと思うこともあるが……
 ――俺達には、時間がなかったからな」

苦笑しつつ、酒瓶の栓を開けて墓前へと供える。
果たして友は気に入ってくれるだろうか。勿論、答えが返ってくるはずもない。

「ヴィヴィオ……」

背後から声をかけてくるスラーヴァを無視して、ヴィヴィオは話し続けた。
どうしても、伝えなくてはいけないことがある。今日の自分は、いつになく饒舌だった。

「でも、今はそうじゃねぇ。
 呆れるくらい退屈な、でも心休まる時間ってのもできるようになったんだ。
 俺らも、少しは余裕がでてきたってことなのかね。
 だから、今日何があったとか、明日何をしようとか、人参食えとか、
 ホントにどうでもいいことを話す時間ももてるようになった。
 ……なのに、本当に言わなくちゃいけねぇことを、言わねぇヤツがいるんだわ」

視線は墓石に向けたまま、大げさにため息をついてみせる。

「グレンも良く知ってると思うけどな。
 あいつ、真面目で真っ直ぐで、良いヤツなんだが、融通の利かねぇところがある。
 悩んでますよ、って顔に出てても、笑って溜め込んで何も言わねぇんだ。
 おかげで、みんな心配しちまってよ。
 お人好しばっかりだからな、今度の仲間は」

必死になってスラーヴァの捜索をしているだろう、ローラとキャロラインの姿が脳裏に浮かぶ。
泣き出しそうな二人の顔を想像し、ヴィヴィオは少しだけ笑った。
――これでは、どっちが迷子だかわからない。

「きっと今頃、うちのうるさいのが二人ほど、捜してるんだろうな。
 こいつらがまた、危なっかしくてなぁ。
 でも、いっつも笑ってるようなイメージしかねぇんだわ。
 危ない事だってあるんだけどな」

そこで言葉を切ると、スラーヴァに向き直り、彼の目をじっと見つめて、続ける。

「それだけ、誰かのことを信頼してるってことなんじゃねぇかな」

長い沈黙。
その間、ヴィヴィオは彼に視線を送り続けた。
言葉にできない思いも、一緒に伝わるように願いながら。

ややあって、持ってきた傘を開く。
それをスラーヴァへと差し出しながら、ぶっきらぼうにヴィヴィオは言った。
どこか、照れたような微笑を浮かべて。

「昔、何があったかなんて知らねぇけどよ。
 お前、一人で抱え込みすぎなんだよ。
 話してみれば、なんだそりゃって笑えるようなことも含めてな。
 ……おら、帰るぞ」

ヴィヴィオの言葉に、ゆっくりと目を伏せるスラーヴァ。
その表情が、少しだけさっきまでと違って見えた。

7.剣と盾の誓い

「――崖から落ちたあの時。少し、俺は意識を失っていたらしい。
 多分、ほんの数分のことだったのだろうけれど……
 その間、色々なものが見えた。――いや、思い出したんだ」

再び訪れた沈黙の後、スラーヴァは重い口を開いて話し始めた。
自らの記憶を覗きこむかのように、遠くへと向けられた紫紺の瞳。
その色は、悔恨と惨苦に暗く沈んでいた。

「俺の身代わりになって死んでいった人のこと。
 大切なものが目の前で失われていくのを、ただ見ていた記憶。
 そして――成す術がなかったグレンの死。
 彼らに今も、何一つ酬いることができない自分の無力が許せなかった……」

初めて聞く、スラーヴァの過去。
詳しくは語らなかったが、今までの人生が平穏なものでなかったことは想像がつく。
きっと、彼は大切なものを数多く失い、それが一つ失われるたび、彼らの生命を精一杯に背負って生きてきたのだろう。
そして、その重さに独り苦しんでいたのだ。
血を吐くような思いで、自らの無力を嘆きながら。

いつもの、穏やかな微笑の裏に隠された影。その一端を、ヴィヴィオは垣間見た気がした。
その闇がどこまで深いのか、見当もつかない。おそらく、他人には理解できないものなのだろう。

でも。だからこそ。
今のスラーヴァには、たった一つ――最も大切なことが見えていない。

「お前ってさ、本当に自分のことわかってねえのな」

それを伝えるべく、ヴィヴィオが口を開きかけた時。よく通る明るい声が、二人の名を呼んだ。
振り返ると、キャロラインが長い黒髪を揺らして、嬉しそうに駆け寄ってくる。
「良かった。私、スラーヴァのこと探してたんですよ。
 ……あれ? このお墓は?」

視線を落とし、そこに刻まれた名前を見るキャロライン。
やがて、この墓の主が誰なのか、彼女も思い至ったようだ。

「あ……亡くなられたお二人の仲間のお墓なんですね。
 私も、お祈りさせてもらって良いですか?」

キャロラインはその場にしゃがみこむと、両手を合わせ、目を閉じた。
そのまま静かに、グレンに祈りを捧げ始める。

「初めまして。私、キャロラインといいます。
 後ろの二人と一緒に冒険させてもらっています。
 ……と言っても、まだ足手まといかもしれませんが。
 冒険の度に二人には、いえ、仲間のみんなに、いつも助けてもらってばかりです。

 スラーヴァは、いつも私とローラを守るために、前で戦ってくれています。
 ローラは、方向音痴の私の側にいて、いつも手を引いてくれています。
 ヴィヴィオくんは、無愛想ながら、いつも私達に気を使ってくれています。
 シローさんは、ちょっと恐いですが、私達をいつも支えてくれています。

 本当に、みんなには感謝しきれません。
 私にとって、かけがえのない大切な仲間です。
 グレンさんも、そう思われていたんでしょうか?

 ――グレンさん。一緒に冒険する事は出来ませんでしたが、
 天国から貴方の大切な仲間を、そして私達を見守ってくれると嬉しいです」

語りかけるような祈りを終え、キャロラインは立ち上がった。
はにかみながら微笑み、スラーヴァの方を見る。

「ねぇスラーヴァ? 最近、何かに悩んでませんか?
 私とローラ、心配でスラーヴァの事、探してたんですよ。
 もしよければ、私にも話してもらえませんか?」

キャロラインの言葉に、スラーヴァはまず、ヴィヴィオの方を見た。
静かに微笑し、小さく彼は呟いた。

「あがいているつもりで、実は閉じこもっていただけなのかもしれないな、俺は。
 たぶん、答えはすぐそばにあったんだ……」

軽く頷きつつ、彼へ笑いかけるヴィヴィオ。もう、自分が言うことは何も残っていない。
スラーヴァは大きく頷きを返すと、キャロラインへと視線を移す。

「ありがとう。――でも、もういいんだ」

彼の口調から、暗さが消えていた。
前へと進み出ると、再び彼はグレンの墓と向かい合う。

「グレン。俺には、君のような力は無い。
 でも、そんな俺にも果たすべき役割があるんだ。
 大切な――暖かくて、明るくて、限りなく優しい人たち。
 彼らや彼女たちの盾となって、護り続けたい。
 君の夢からは外れてしまうだろうし、力不足かもしれない。
 それでも、俺にとっては人生を賭けるに値することだ」

言葉を区切り、一拍ほど呼吸をおいた後。
手にした剣を掲げて、スラーヴァは誓いの言葉を紡ぎ出した。
――迷いなく、そして力強く。

「この剣で、力を貸してはくれないか。
 決して、君に恥じるような使い方はしない。――魂に賭けて誓うよ」

一陣の風が、スラーヴァの傍らを吹き抜けていった。
それは、彼の誓いに対するグレンの返事の如く。どこまでも清々しく、なぜか暖かい。
風が去った後、スラーヴァは虚空へと向けて静かに語りかけた。

「ありがとう……」

しばらくスラーヴァはその場に立っていたが、やがてヴィヴィオとキャロラインの方を振り返った。
二人の顔を見ながら、少し申し訳なさそうに微笑む。

「心配を、かけたね」

一言詫びた後、久しぶりに晴れやかな笑顔を見せたスラーヴァ。
その彼の手には、あの剣が誇らしげに握られていた。


その頃、墓地の片隅で彼らを見守る人影があった。
黒髪を無造作に束ねた、精悍な男――シローだ。
紺に白い輪を染めぬいた竹の傘を手に、ぽつりと呟く。

「――こりゃ、俺の出る幕はないな」

彼もまた、密かにスラーヴァを捜していたのだが――どうやら要らぬ心配だったようだ。
自らのお節介に苦笑しつつ、そっとその場を離れる。
いつの間にか、あれほど降り続いていたはずの雨は止んでいた。

「晴れてきたな……帰るか」

畳んだ傘を携え、再び青くなった空を見上げてシローは一人笑った。

8.英霊は風となりて

ヴィヴィオたちが宿に戻った時、ローラとシローが三人を待っていた。
ローラは心底安心した様子で彼らを出迎え、その無事を喜んだ。
何でも、スラーヴァを捜しているうちに、彼女にしては珍しく道に迷ってしまっていたようだ。
途方に暮れている時にシローが通りがかり、一緒に帰って来たのだという。
そこでスラーヴァがまだ帰っていないことを知り、再び外へ出ようとしたのだが、「じきに戻るだろ」とシローに止められたらしい。

「な、待ってて良かったろ?」
のんびりと言う彼の傍らに濡れた傘が立てかけられ、床に小さな水溜りを作っている。

――もしかして、こいつもだろうか?

ヴィヴィオはシローの方を見たが、何事もなかったかのように茶を飲む彼の表情からは、それを窺い知ることはできなかった。


その数日後、『涼風亭』に一人の来客があった。

「――スラーヴァ殿はいるかの」
漆黒の革鎧に身を包んだ、すらりとした銀髪の美女。
人を射抜くような金色の瞳は蛇を思わせ、それが神秘的かつ不気味でもある。

「イーヴィさん」
女の姿を認めて、スラーヴァが笑顔で歩み寄っていった。
「頼まれていたものを、届けに来たでな。
 ……そういえば、あれの具合はどうかの?」
その声に、席に座っていたシローも、イーヴィに軽く手を上げてみせる。
「ああ、良い出来だ。役に立ってるよ」
彼の言葉に、イーヴィは満足げに微笑した。
「それは何よりじゃ」

「おい、誰なんだ? あの女」
隣のシローに、小声で問い掛けるヴィヴィオ。
「確か、イーヴァルディとか言ってたな。この前話した、例の武器職人だ」
「あれって女だったのかよ。にしても、スラーヴァって変なところで知り合い多いよな」
感心とも、呆れともつかぬ口調で呟く。ローラも、興味深げに二人を見つめながら答えた。
「最近、よく出かけてるみたいですしねぇ」
「でも良かった。なんだか、前よりも明るくなったみたい」
にこにこと微笑みながら、キャロラインが言った。
彼女の視線の先には、イーヴィと和やかに談笑するスラーヴァの姿がある。

「すみません、わざわざお越しいただいてしまって。
 こちらから取りに伺おうと思っていたのですけれど」
「何、気にするでない。妾も丁度暇していたところじゃ。
 長話もなんじゃ、そろそろ本題に入るかの」

そう言うと、イーヴィは手に持っていた細長い包みを差し出した。
スラーヴァの目の前で、その外側を覆う布を取り去っていく。

「これが、お主の剣じゃ」
「――これは」

中から現れたのは、あのシャムシールだった。
恐る恐るそれを受け取り、静かに鞘から刀身を抜くスラーヴァ。
鞘や柄の意匠は確かにグレンが使っていたものだが、その形や長さは大幅に変わっていた。
刀身は以前と較べて短く、薄くなり、より洗練された雰囲気を漂わせている。

「余分なものを落とすために、だいぶ打ち直したでな。
 これでも、斬れ味や耐久性は前より上がっているはずじゃ」
「凄く軽い……手にも、よく馴染みます」

剣を手に、驚いた表情でスラーヴァが呟く。
イーヴィは微笑を崩さぬまま、諭すような口調で彼に言った。

「たかが剣一振りでも、使い手によって鍛え方も違うでな。
 しかし、外側の形がいくら変われど、内に宿る本質はそのまま残る。
 良い武具とは、得てしてそういうものじゃ」
「……はい」
頷くスラーヴァを、金の双眸でじっと見つめるイーヴィ。

「お主ならば直ぐにその剣も使いこなせるようになるじゃろう。
 じゃが、問題はどう使うかじゃ。くれぐれも誤るでないぞ」
「はい――この剣に、そして友人の魂に恥じないように」
イーヴィの戒めに対し、スラーヴァは迷わずそう答えた。
紫紺の瞳に映る誓いと決意。それを見て、イーヴィは再び微笑する。

「良い返事じゃ。まあ、お主ならば要らぬ心配じゃろうが。
 さて、そろそろ妾は邪魔させてもらうとしようかの」
イーヴィはそう言うと踵を返したが、すぐに足を止めて振り向いた。
「――あ、そうそう。頼まれていた銘もきちんと入れておいたでな」
「ありがとうございました」
礼とともに深々と頭を下げ、イーヴィを見送るスラーヴァ。

彼女の姿が扉の向こうに完全に消えたあと、ローラが彼に声をかけた。
「その剣、何て名前にしたんですかぁ?」
「……そりゃあ、決まってるだろ」
思わず呟いたヴィヴィオに、微笑して頷くスラーヴァ。
刀身に刻まれた銘を指でなぞりながら、静かに答える。

「“グレン”――ヴィエーチル・グレン。
 彼の魂は、今でも風とともにあると思ったから。
 『ヴィエーチル』は、『風』を意味する言葉なんだ」
「そうなんですかぁ。わたしはぁ、良い名前だと思いますよぉ」
「――ありがとう」
にっこりと笑いかけるローラに、照れながら微笑むスラーヴァ。
その彼の横顔に、在りし日のグレンが一瞬重なって見えた。


〔執筆者あとがき〕

プロローグにてスラーヴァがシローへ渡した、親友グレンの剣。今回は、それにまつわる物語です。
実はこのグレン、シローのプレイヤーである386氏が、エレメンタルスフィアにて最初に使っていたキャラクターでした。

色々な事情で当時のパーティは解散、彼も一度キャラクターを作り直すこととなったのですが、私としては、このまま『グレン』というキャラクターの存在がなかったことになってしまうことが納得できず、考えた末にノン・プレイヤー・キャラクター(NPC)として、引き続き名を残すこととなりました。
そのために“死”という結末を与えられてしまったのは、キャラクターにとって酷であったかもしれませんが……。

この第4話は、先に書いた四編とはエピソードの作り方に大きな差があります。
大部分が、実際に行われた会話を元にしているのです。
冒頭のシローとスラーヴァの模擬戦はゲームの中でもほぼ同様の結果でしたし、オーク討伐の任務のくだりも、ほぼ忠実に再現しています。
スラーヴァが姿を消してからのくだりは、当サイトのキャラロールBBS『冒険者たちの日常』にて、メンバー全員が考えを捻りつつ作り上げました。

そのため、非常に各キャラクターが生きた展開になったのではないかと思います。
お付き合いいただいたプレイヤー諸氏には、改めて感謝を。

なお今回、ゲーム内にて交流のあったイーヴァルディ女史にご登場いただいております。
彼女はすでにエレメンタルスフィアを引退されてしまいましたが、キャラクター・プレイヤーともに非常にお世話になりました。
この場を借りて、深くお礼申し上げます。