“手探りで進む者たち”
(The Fumblers)

第1話
手探りの前進
AkiRa(E-No.633PL)作
2004/01(初稿)
2004/09(改訂)


1.初めての冒険 5.彷徨える少女
2.キャロラインの悩み 6.前に踏み出す時
3.旅路にて 7.安心できる場所
4.試練の洞窟
〔執筆者あとがき〕


1.初めての冒険

フロースパー市街の外れに位置する冒険者の宿、『涼風亭』の一室。
整然と並べられた野外用の装備を前に、ローラはベッドの上に座りこんでいた。
「ええっとぉ……ランタンとぉ、コンパスとぉ……あとはこれも必要ですかねぇ?」
声に出して指差し確認をしながら、それらを次々と背負い袋に詰めていく。
そのほとんどが、まだ真新しい。仲間たちと相談の上、つい先程買い揃えたものだ。
ずっと街中にいるならばともかく、実際に冒険に出るとなると大小様々な装備が必要になってくる。
野営を行うための寝具、火を熾すための火口箱、現在位置を知るための正確な地図とコンパス、暗い場所で必須のランタンと油、多目的に役立てられるロープ……挙げていけばキリがない。
無論、いくつかはパーティで分担して持つことになるのだが、それを差し引いてもかなりの量だ。重いし、何よりかさばる。
それだけの物を使い勝手を考えながら配置し、かつ旅の妨げにならないようコンパクトに纏める作業というのは、意外と熟練を要するものだ。
よって、初心者のローラは相当苦戦を強いられていた。先程からずっと、出し入れを繰り返して試行錯誤を続けている。
「ふにぃ……紐がきついですぅ……。
 キャロラインちゃん、そちらは準備できましたぁ?」
なかなか蓋の閉まらない袋に辟易しつつ、傍らのキャロラインに声をかける。
彼女もまた、多くの薬や道具を所狭しと並べていた。
「……ん、あと少し……かな」
薬類のチェックを念入りに行いながら、そう答える。
キャロラインの場合、全員に必要となる個人用の装備を除けば荷物のほとんどが医療に関係した品物だ。扱い慣れた商売道具とも言えるもので、そういう意味ではローラよりは各段に荷造りはしやすいだろう。
「それにしてもぉ、いよいよ冒険に出られるんですねぇ。
 ようやくぅ、わたしたちもぉ一人前ってことでしょうかぁ?」
嬉しそうに声を弾ませるローラに、キャロラインも作業の手を止めて笑顔を向けた。
「そうだね。これで、訓練所も卒業かな?」
視界に映る窓の外には、冬の空が広がっている。もう十一月も終わりに近い。

訓練所に通い詰めた日々を思い返し、キャロラインは軽く息をついた。
ローラたち四人の仲間と出会い、パーティを組んでからもう一ヶ月が経とうとしている。
戦闘に関してはまったくの初心者だったキャロラインとローラは、最低限自分の身くらいは守れるよう、冒険者ギルドの訓練所にて基礎を身に着けることとなった。
短剣の握り方に始まり、一通りの構え、攻撃を受け流す技術。無論全てを実戦において生かせるとは限らないが、これができるのとできないのとでは驚くほどの差が出てくる。実質、ここが一般人と冒険者の境界線と言っても過言ではない。
ニ週間ほどで何とかそれも形になり、二人は仲間たちと実戦形式の訓練に参加することができるようになった。最初こそ浮き足立っていたものの徐々に慣れ、今ではある程度落ち着いて戦えるほどに進歩している。
さらに、ローラは最近になって小石を投擲するためのスリング(投擲紐)を手に入れていた。後方からも攻撃が行えるようになり、しかも彼女の狙いは驚くほど正確であったため、それ以後の訓練はかなり楽になった。聞いたところによると、幼い頃から投げることには自信があったらしい。
あれほど恐ろしかった訓練用の機械人形も、もう全く敵ではない。そればかりではなく、ギルドの指導員を務める熟練の戦士からも、模擬戦で一本取る事ができた。
もちろん、パーティ全員で掴んだ成果であり、仲間たちの力が大きかったことは言うまでもないが。

戦士であるシローが剣を手に敵陣へと切り込み、鎧に身を固めた神官のスラーヴァが前線を支え、時には神聖魔法で仲間たちを攻撃から守る。その後ろでローラが投擲紐で石を射出し、魔術師のヴィヴィオは強力な魔法の弾丸を放つ。戦闘が終わったら、医術の心得があるキャロラインが全員の怪我の手当てを行う――そういった連携が、この一月でしっかり形作られていた。
これならそろそろ訓練を終えても良いだろうと、五人は冒険者ギルドの試験を受けることを決めたのである。

内容は南のザガン地方へ赴き、ギルドが管理する洞窟を探索するというもの。
人の手が加わっている訓練用の洞窟とはいえ、危険な場所であることには違いない。
そこで、駆け出しの冒険者たちは基本的な戦闘力・目的地へと迷わず辿り着く探索の技術・危険に対処し得るだけの判断力と精神力などを試される。
そうやって最深部に位置する泉の水を持ち返ることで、初めて一人前の冒険者として認められるのだ。

半ば通過儀礼ではあるものの、冒険は冒険――これで、過去に命を落した者がまったくいないわけではない。
それでも、キャロラインにとっては不安より期待の方が大きかった。
向かいのベッドに座り、背負い袋の紐に手をかけたまま瞳を輝かせているローラもそれは同じだろう。
“冒険”という単語には、それだけで人を惹きつける魔力があるようにも思える。

キャロラインがそうやって思いを巡らせていると、ふと部屋の扉がノックされた。
「は〜い、どなたですかぁ?」
大きな声で訊ねるローラに、扉の向こうで男の声が答える。
「俺だ」
それが耳に届いた瞬間、キャロラインは無意識に身体を強張らせていた。――もう、聞き慣れたはずの声であるにも関わらず。
「あ、シローさん。どうしたんですかぁ?」
ローラは、そんなキャロラインに気付かない。至って明るく、扉越しに会話を続けていた。
「まだ荷造りやってんのか?」
「……ええっとぉ……あと少しで終わると思いますぅ」
「じゃあ、下で待ってるぜ。そろそろ飯の時間だからな」
「わかりましたぁ。すぐに行きますねぇ」
「おう」
短く答えた後、シローの気配が部屋の前から遠ざかっていく。同時に、キャロラインは内心で大きく安堵の溜息をついた。――さっきまでの高揚感が、嘘のように消え失せていくのがわかる。
慌てたように作業の手を早めるローラをよそに、キャロラインは一人暗澹たる思いに沈んでいた。

2.キャロラインの悩み

「――それで、折角だからパーティ名を決めないか?」
パーティ全員で囲む夕餉の食卓。その席で、スラーヴァはそう提案した。
冒険者ギルドでは、それを構成する冒険者たちを個人とパーティで別々に名簿に纏めており、いずれも、登録時に割り振られる番号で管理している。
個人の方は、引退または死亡しない限り番号が変わることはないが、パーティとなるとそうはいかない。
最初から最後まで同じメンバーで冒険を続けていれば全く問題はないのだが、ほとんどの場合は途中で仲間が欠けてしまったり、逆に新しい仲間が加わったりする。また、腕の立つ冒険者の中には、決まったパーティを持たずに“傭兵”を生業としている者も少なくない。戦力に不安のあるパーティと個人で短期の契約を交わし、代価と引き替えに手を貸すというわけだ。こういった場合、頻繁に所属パーティの番号が変わることになり、書類上少々ややこしいことになる。
よって、ギルドではパーティを組む際にその“呼び名”をつけることを推奨していた。ただの番号よりも、固有名詞があった方が管理しやすく、間違いも減るからだ。
もっとも、そういった実利的な面を差し引いてもパーティの命名は多くの冒険者にとって重要である。自分たちのもう一つの名前と呼べるものでもあるし、それを仲間たちとあれこれ相談するのは楽しい。
何よりも、決まった呼び名があれば一人前になったような気がするものだ。

「いいですねぇ。これぞ冒険者って感じでぇ♪」
スラーヴァの申し出に、ローラが真っ先に賛同の意を示す。
「ち、面倒臭えなぁ……で、何か案でもあんのか?」
目を輝かせる彼女と対照的に、いつも通りそっけない返事のヴィヴィオ。
どうやら人参が苦手であるらしく、顔を顰めながら一つ一つフォークで皿の隅に寄せている。
そんな彼の隣で、食事をかきこんでいたシローがさらりと口を開いた。
「オサフネ愚連隊」
「……冗談は顔だけにしとけよ」
冷然たるヴィヴィオの毒舌にも、シローはまったく意に介した様子がない。
そしらぬ顔で空になった器を置き、卓上の楊枝を手に取る彼を横目に、ヴィヴィオはことさらに大きな溜息をつく。
それは、次第に賑わい始めた酒場の喧騒に掻き消されていった。

ここ一ヶ月で、飽きるほどに繰り返されてきた食事風景。
傍目には、仲の良い冒険者パーティに映るかもしれない――でも。
「……キャロライン?」
考え事をしながら細々と食事の手を進めていたキャロラインだったが、ふとスラーヴァに声をかけられて我に返った。
「どうしたんだい? 何だか、食欲がないようだけれど」
心配そうに自分の顔を覗きこんでいる彼に、慌てて首を横に振ってみせる。
「あ……ううん、そんなことないよ。全然、何ともない」
「……そうかい? それなら良いのだけど」
取り繕った言葉とは裏腹に、キャロラインの心中は複雑だった。

一月が過ぎてもなお、パーティに打ち解けることができない自分。
原因はただ一つ。シローとヴィヴィオ――この二人にどうしても馴染めないのだ。
シローは中背ながら逞しい体つきで、いかにも戦士といった風貌をしている。
剣の腕も確かで、戦いにおいては常に自信に満ちた不敵な表情を崩さなかった。
そんな時の、荒々しさを孕んで人を射抜くような視線が怖い。
ヴィヴィオはヴィヴィオで、これまた随分と愛想のない少年であった。
一体何が気に食わないのか、いつも眉間に皺を寄せて不平ばかり漏らしている。
勇気を振り絞って話しかけてもそっけない返事をするばかりで、終いにはぷいと横を向いてしまうのだ。
その、人を突き放したような態度が理解できない。

幼い頃に近所の男の子から意地悪をされたことで、もともと男性そのものが苦手ではある。
それでも、キャロラインは二人のことを理解しようと努めてきたつもりだ。しかし――見れば見るほど、欠点ばかりが目に付いてきてしまう。慣れるどころか、壁は厚くなる一方だった。

――君たちさえ良かったら、パーティを組んでみないか。
スラーヴァが他の四人を前にそう言った時、キャロラインの目には彼らはとても頼もしく映った。
街で悪い人に絡まれて困っていたところを、助けてくれた人達。だから、きっと大丈夫。
そう思ったからこそ、首を縦に振ったのだ。
でも、今となってはその選択が正しかったのか自信がない。
本来ならパーティを抜けるべきなのだろうが、ローラとスラーヴァの二人を思うとそれもできなかった。
ローラは冒険に出て初めてできた友達だったし、スラーヴァはキャロラインをいつも優しく気遣ってくれる。キャロライン本人も、男性陣の中で彼にだけは心を許していた。
どんな男の人だろうと一歩引いてしまうというのに、どうしてスラーヴァは平気なのかはわからない。
ただ、彼のあまりに繊細な顔立ちを見るたびに思う。
――もしかしたら、本当は女性なのではないだろうか? ……と。

その真偽はさておき、スラーヴァとローラの存在がキャロラインをパーティに引き留めているのは紛れもない事実だった。彼らとは別れ難いが、でも残りの二人とこの先上手くやっていく自信もまったく無い。
結局は堂々巡りの思考に陥り、キャロラインの心はさらに重くなっていく。
とうとう食事の手を止めてしまった彼女をよそに、話し合いはまだ続けられていた。
「……じゃあ、こういうのはどうかな? 『ファンブラーズ』」
「ファンブルぅ? 何だか縁起悪りーなぁ、おい」
スラーヴァの言葉に、ヴィヴィオが大きく眉を歪める。
「……まあ、『大失敗する』というイメージが強いからね。
 でも、この言葉には『手探り』という意味もあるんだ。
 これから冒険の一歩を踏み出す俺たちには、似合っているんじゃないかと思ってさ」
いかにも、スラーヴァらしい謙虚な意見であった。
普通に考えれば不吉とも言える単語も、彼の口から出ると悪くない響きに思えてくるから不思議である。
「“手探りで進む者たち”ですかぁ。 何だか良いですねぇ」
「げ……本気かよ」
感心したように頷くローラに、ヴィヴィオが目を丸くして驚く。
黙って茶をすすっていたシローが、のんびりと口を開いた。
「まあ、他を考えるのも面倒だ。いいんじゃねえか?」
「キャロラインちゃんはぁ、どう思いますぅ?」
シローの賛成を受けて、ローラがにこにこと笑いながら問いかけてくる。
キャロラインは俯いたまま、消え入りそうな声で答えた。
「……うん……みんなが、それでいいなら……」
それを聞き、ヴィヴィオが観念したように溜息をつく。
「ち……しょーがねーなぁ、まったく……」
「じゃあ、決まりだね」
スラーヴァの声が、話し合いを穏やかに締めくくった。

かくて、“手探りで進む者たち”は動き始めたのであった。
――キャロライン、ただ一人を残して。

3.旅路にて

夕暮れの風が、街道沿いを涼しげに吹き抜けてゆく。
もう冬になるというのに、気候はどこまでも穏やかだ。大陸南端に位置するキャロラインの故郷より若干気温は低くなるが、それでも寒さに凍える心配は要らないだろう。
少し遠くを眺めると、点在するいくつもの湖が夕日を映して輝いていた。
その幻想的な風景に、キャロラインは旅の疲れも忘れて溜息を漏らす。

バルバトス地方を南下すること数日、五人は隣のアムドゥシアス地方へと辿り着いていた。
ここは水の精霊の力が強い地域であり、一年を通して心地よい涼しさを保っている。
豊富な水源が織り成す美しい景観とともに、立ち寄る者の心身を優しく包み込み癒してくれるため、冬であってもこの街道を旅する者は多い。
目指すザガン地方は、このさらに南にあった。

「ふにぃ〜。気持ちいいですねぇ〜」
大きく伸びをしながら、ローラが呟く。栗色のポニーテールが、風を受けてなびいていた。
「どうだい、なかなか良い所だろ?」
そんな彼女に、やや誇らしげなスラーヴァの声がかかる。
「そういえば……スラーヴァって、セレナイトから来たんですよね」
キャロラインの問いに、彼は微笑んで頷いた。
「ああ」
セレナイトは、大陸六大都市の一つで、ここアムドゥシアス地方の首都にあたる。
芸術が盛んなことで名高いその街がスラーヴァの故郷なのだと、キャロラインは少し前に聞いていた。

「あ〜、だりぃ。まだ着かねぇのかよ……」
やや離れた場所から、ヴィヴィオがお決まりの不平を漏らす。
「これで半分ってとこだな。何だ、もう疲れたのか?」
「るせーな……俺はお前みたいに体力だけが取柄の奴とは違うんだよ」
からかうようなシローの声に口を尖らせると、ヴィヴィオはその場にどっかりと腰を下ろしてしまった。言っていることとは裏腹に、口調はまだまだ元気を残しているようにも思える。

キャロラインが密かに眉を顰めた時、スラーヴァが皆に向かって呼びかけた。
「もうすぐ日も落ちるし、今日はここで野営することにしようか?」
「そうだな。じゃあ、俺は薪でも拾ってくらぁ」
言うが早いが、街道の外側にある林へと分け入っていくシロー。
スラーヴァは彼の背中を微笑って見送ると、自らも野営の準備へと取りかかった。
彼の後ろで、ヴィヴィオもわざとらしく溜息をつきながら立ち上がる。
「ええっとぉ……じゃあ、わたしはお水を汲んできますねぇ」
自分にできることを探していたキャロラインは、ローラの声に振り返った。
彼女が指した先、林の向こうに澄んだ泉が見える。距離も近く、水場としては手頃だろう。
「……あ、待ってローラ。……私も行く」
全員分の水筒を手に歩き出したローラを呼び止め、慌ててその後を追う。
「お願いするよ。気をつけて」
スラーヴァの声が、背中ごしに聞こえてきた。


「……ねえ、ローラ」
泉の前で、キャロラインは隣で水を汲むローラに話しかけた。
「何ですかぁ?」
エメラルドグリーンの大きな瞳が、屈託無く自分に向けられる。
数瞬迷った後、キャロラインは思い切って単刀直入に訊くことにした。
「……あのね。ローラはあの二人のこと……どう思ってる?」
「あの二人……ですかぁ?」
きょとんとした表情で、小首を傾げるローラ。
キャロラインは一瞬肩透かしを食らった気分になったが、すぐに思い直して言葉を続けた。
「……だから、その……シローさんと、ヴィヴィオさんのこと」
ローラは少し考えた後、にっこりと笑って答える。
「そうですねぇ……お友達というかぁ、大切な仲間だと思ってますけどぉ。
 キャロラインちゃんは違うんですかぁ?」
笑顔で問われ、キャロラインはしばらく言葉に詰まった。やがて、下を向いて小さく答える。
「……正直、ちょっと苦手……かな……」
「?? どうしてですかぁ?」
目を丸くするローラに、キャロラインは縋るような思いで打ち明けた。
「だって……シローさんは強くて頼りにはなるけど、何だか怖い感じがするし。
 ヴィヴィオさんはヴィヴィオさんで……いつも無愛想で冷たいし……」
――立場の近いローラならば、きっと自分の気持ちをわかってくれるはずだ。
しかし、そんな彼女の願いは続くローラの言葉にあっさりと打ち砕かれた。
「ええっとぉ……確かにぃ、そういうところもあると思いますけどぉ。
 それだけじゃあ、ないと思いますぅ」
「……え?」
思わず顔を強張らせるキャロラインに、ローラはにこにこと笑いながら淀みなく答える。
「シローさんって確かに乱暴で大雑把ですけどぉ、結構わたしたちに
 気を遣ってくれているみたいですしぃ。
 ヴィヴィオくんもぉ、あれで優しいところあるんですよぉ」
正直、ショックだった。
自分がどうしても打ち解けられない彼らを、ローラは仲間としてごく自然に受け入れている。
それだけじゃない。自分が理解できなかった彼らの長所を、はっきりと口に出して言うことができる。
――拘っているのは、私だけなのだろうか? 私が、いけないのだろうか?
「……そう」
それっきり、キャロラインは黙りこんでしまった。
心配そうなローラの視線を横目に、俯いてただ水を汲み続ける。
言いようのない孤独感が、彼女を強く打ちのめしていた。

4.試練の洞窟

「にゃあぁ〜! ……ま、またナメクジぃ〜!」
薄暗い洞窟の中、ローラの悲鳴がこだまする。
彼女の眼前には、巨大なナメクジの群れ。
ランタンの灯りにぬめぬめとした体表がうっすら照らされ、それが地面にいくつもひしめき合っている。
当然の如く、見ていて気分の良いものであるはずがない。
キャロラインも、背筋が寒くなる思いで足をすくませていた。
「ローラ、後ろに下がるんだ!」
言うが早いが、鎧に身を固めたスラーヴァが愛用の杖を手に走る。
ニメートルほどの樫材の両端に金属製の石突が付けられた戦闘用の杖で、一般に“クォータースタッフ”と呼ばれているものだ。
単純な武器ではあるが、取り扱いが簡単で防御に優れることから、意外と多くの冒険者に用いられている。
スラーヴァはそれでナメクジたちを牽制しながら、ローラを庇うように前線に立った。
「今のうちに下がって。……シロー!」
「ようし、こいつらも叩っ斬って……おわぁ!」
シローが剣を抜いて前に出ようとした時、彼の叫びとともに鈍い音が響いた。
どうやら湿った地面に足を取られて転倒したらしい。
「この阿呆っ! 何やってやがるんだよっ!」
ヴィヴィオが大声で悪態をつく中、スラーヴァはただ一人でナメクジの群れに対峙していた。
既に、彼の足元はぬらぬらと蠢くもので埋め尽くされている。
個々ではそうそう脅威となる生物ではないが、それでも囲まれると相当厄介だ。
近寄って来るナメクジたちを杖で打ち払いながら、スラーヴァが苛立ち気味に叫ぶ。
「くっ……キリがないな。数が多すぎる!」
「スラーヴァ、しっかり!」
キャロラインが必死に応援するも、それで戦況が好転するはずもない。
業を煮やしたヴィヴィオが、舌打ちとともに怒鳴った。
「……ち、この畜生どもが! ――轟け!! 『ミョルニル』!!」
呪文とともに小規模な旋風が巻き起こり、やがて唸りをあげて敵へと襲いかかる。
真空から生じた不可視の刃が最前列のナメクジを次々に両断すると、スラーヴァはその隙をついて一気に攻勢に転じた。
何時の間にか体勢を立て直したシローも、攻撃に加わり果敢に切り込んでいく。
程なくして、周囲のナメクジたちは完全に駆逐された。

「……ふう、何とか片付いたか。どうなることかと思ったよ」
しつこく纏わりついていた最後の一体を倒した後、スラーヴァが肩で息をしつつ呟く。
銀の前髪が、流れる汗で額へと張り付いていた。
「あー、悪い」
頭をかきつつシローが詫びるが、その態度からはあまり反省の色は見られない。
彼に構わず、キャロラインはスラーヴァへと駆け寄っていった。
「スラーヴァ、大丈夫ですか? 怪我とかは……」
「大丈夫だよ、キャロライン。流石に、少し疲れたけどね」
心配するキャロラインの声に、スラーヴァが地面に腰を下ろしながら答える。
丁度良いので、パーティはここで小休止することにした。

「しっかし、人形どもと違ってうざってーな。一体何匹いやがるんだよ」
体を休めながら、うんざりしたようにヴィヴィオが言う。相変らず、口だけはまだまだ元気だ。
「この先もぉ、ずっとこんな感じなんでしょうかねぇ?
 ……わたしぃ、ちょっとナメクジは苦手なんですぅ」
余程ナメクジが苦手なのか、珍しくしおれてしまっているローラを、スラーヴァが励ます。
「あと、もう少し辛抱のはずだよ。ローラ、ちょっと地図を見せてくれるかい?」
「はいですぅ」
「ありがとう」
ローラから地図を受け取って目を通すと、スラーヴァは全員を軽く手招きした。
車座の中心、ランタンの灯りの下に描きかけの地図を広げる。ローラの手によるもので、この薄暗い中でどうしてと思えるほどに細かく書き込みがなされていた。
皆が顔を寄せ合う中、指で今までの経路を辿るスラーヴァ。
「今までの道が間違っていなければ、泉はこの先にあるはずだ。
 洞窟全体の大きさを考えても、もうそろそろだと思う」
洞窟の奥へ赴き、泉の水を持ち帰る――それが、今回の試験の内容だ。
一人一人の顔を眺めながら、スラーヴァは改めて注意を促す。
「ここは暗いし、湿気もあるから滑りやすい。足元には気をつけて進もう」
「さっき転んだ奴もいることだしな」
「……まぁ、そんな事もあらぁ」
この後に及んでまだ軽口を叩き合っているヴィヴィオとシローに、キャロラインは内心で刺々しい視線を向けていた。
何度も繰り返すように、試験といえどこれは冒険なのだ。油断は思わぬ怪我を招く――さらに運が悪ければ、待っているのは死。
――本当に、この人たちはそれを理解しているのだろうか? 先程のように、またスラーヴァやローラを危険な目に遭わせたりしないと言えるだろうか?
身勝手な彼らに不信感を募らせた時、スラーヴァが立ち上がって号令をかけた。
「よし、じゃあそろそろ出発しようか」

再びパーティが動き出す中、キャロラインはなおも考えていた。
泉でローラと話してからシローとヴィヴィオを見てきたのだが、彼女が言う程良いところがあるとは思えない。それどころか、彼らの一挙一動にいちいち腹を立ててしまう。
手っ取り早く言えば、性格が合わないのだ。きっと、そういうことなのだとキャロラインは思う。
そして、徐々に心に導かれつつある結論。
――私は、ここにいるべきじゃないのかもしれない。
この冒険が終わったらパーティを出ようか。そう考えるまでに、追い詰められていた。
次第に歩みは遅くなり、前を歩くスラーヴァたちから距離が離れていくことにも気付かない。
ランタンの灯りだけが頼りの薄暗い洞窟、滑りやすい地面、俯き加減の視線――加えて、生来の方向音痴。これだけの条件が揃っていて、一人で考え事をしながら歩くとどうなるか?
ふと異変を感じ取り、足を止めた時にはもう遅かった。
「――え!?」
キャロラインの視界から、仲間の姿が消えていた。

5.彷徨える少女

「嘘……でしょ。ねえ……」
皆とはぐれ、キャロラインはただ呆然と立ち尽くしていた。顔からは、どんどん血の気が引いていくのがわかる。
この広い洞窟に、自分は独り取り残されてしまったのだ。
「スラーヴァ! ローラ! どこにいるの!?」
呼びかけてみるが、全く反応が返ってくる気配は無い。
「ヴィヴィオさん……シローさんっ!!」
声を張り上げ、闇雲に歩き回る。それで、さらに迷っていくことなど微塵も気付かない。
どこまで進んでも、洞窟は闇の中に静寂を保つばかりだった。徐々に、キャロラインの心に絶望が広がっていく。
――このまま、外にも出られずに死んでしまうのだろうか……?

一体どれだけの時間が過ぎたのだろうか。
叫ぶ喉も嗄れかけた頃、背後から唐突に声が響いた。
「……何だ、ここにいたのか」
「ったくよ、手間かけさせやがって」
振り返ると、そこには悩みの元凶たるシローとヴィヴィオの姿。
それでも、この時ばかりは彼らに巡り合えたことをキャロラインは感謝した。
死の恐怖から解放され、一気に全身の力が抜ける。
「シローさん……ヴィヴィオさん」
震える声で二人の名前を呼ぶと、キャロラインは思わず地面にへたりこんでいた。
そんな彼女に、ヴィヴィオが眉間に皺を寄せながら大きく溜息をつく。
「いきなり消えちまうもんだから、二手に別れて探してたんだぜ。
 あともう少し、ってところでこれだもんな。マジで勘弁してくれよ……」
呆れたようにぼやく彼の言葉に、キャロラインはいきなり冷水を浴びせられた気分になった。
瞬く間に安堵感が薄れ、真っ暗な不安が波の如く押し寄せてくる。
そう。――ここには、自分と彼らしかいないのだ。
いざとなったら、大した戦力にならない自分など真っ先に捨て置かれてしまうかもしれない。
「……ごめんなさい」
消え入りそうな声で謝るキャロラインを、ヴィヴィオはもう見ていなかった。
踵を返し、足早に元来た道へと歩き始めている。
その素っ気無さが、ますます彼女を暗鬱とさせた。
結局は、仕方なく探しにきただけ。本音の部分では、キャロラインが生きようが死のうが関係ないに決まっている。
――どうして、こんな人たちとパーティを組んでしまったのだろう。
後悔が渦巻く中、俯きながら唇を強く噛む。
「いいから戻るぞ」
「……はい」
シローに促され、下を向きつつもキャロラインが後についていこうとした、その時。
突如、洞窟ごと地面が大きく揺らいだ。
同時に、天井から砂と小石がパラパラと降り注ぐ。
確か、ここは地の精霊の力が強い地方ではなかったか――だとすると、考えられる可能性は一つ。
「まさか……地震!?」
直感が、思わず口をついて出る。あまりの事に、シローとヴィヴィオの動きも止まっていた。
そうしているうちにも、いよいよ揺れは強くなっていく。足元を掬われ、ただ立っていることもままならなかった。
「――伏せろ!」
ようやく我に返ったらしいシローが、慌てて叫ぶ。
頭を抱えてその場に蹲った直後、割れるような轟音が地を揺るがせた。


程なくして揺れが収まると、周囲には再び静寂が戻った。
キャロラインが恐る恐る顔を上げると、土を払いながら立ち上がるシローとヴィヴィオの姿が視界に映る。埃で汚れてはいるが、特に大きな怪我はしていないようだ。
「――よし、とりあえず生きてるな」
シローが、ヴィヴィオとキャロラインを横目に見て口を開く。
あれほどの地震にも関わらず、全員が無事であったのは幸運と言う他なかった。
「あー、何だってんだ一体……」
先程の轟音で耳鳴りでもするのか、ヴィヴィオが頭を振りながらぼやく。
突如、その瞳が大きく見開かれた。
「おい、マジかよ……」
低く呻いたきり、そのまま黙り込んでしまう。
ただならぬ雰囲気に、キャロラインは彼の視線の先を振り返り――そして息を呑んだ。
「み……道が……」
出来るなら信じたくはない光景が、眼前に広がっている。
先ほどの地震で岩が崩れたのだろう。彼ら二人の来た道が、完全に塞がれてしまっていた。
両手で顔を覆うキャロラインの耳に、気の抜けたシローの声が空々しく響く。
「あー……君たち。とりあえず気をしっかり持て」
「……てめーがな」
「何を言っているんだ少年、俺は至って冷静さ」
吐き捨てるヴィヴィオにそう答えるものの、シローの目はあらぬ方向を泳いでいる。彼が狼狽しきっていることは、ほぼ疑いようがない。
「笑えねー冗談はともかくよ。どーすんだよ本気で。
 来た道が塞がっちまった以上、別の道を探すしかねーってことだろ?
 ……地図も目印も何もねぇってのによ」
その言葉に、キャロラインは改めて絶望的な気分になった。
――別の道を探す? こんなどこまで続いているかわからない洞窟を、何を考えているかわからない二人と一緒に? ……冗談じゃない! 
何もかもが嫌になり、思わず一歩後退さる。
天井の方から小石混じりの砂が降ってきたが、それすらも今はどうでもいい。
「――馬鹿、よせ!!」
切迫したシローの声が、キャロラインの耳朶を打つ。
「……え?」
反射的に上を見ると、崩れた岩の破片が複数、すぐそこまで迫っていた。
もはや、悲鳴をあげることもままならない。ただ目を瞑り、逃れるように下を向く。
「――ちぃぃっ!!」
遠のきかけた意識の中、シローの叫びだけがやけにはっきりと響いた。

6.前に踏み出す時

何かに強く肩を押され、続いて鈍い音がいくつか聞こえた。
キャロラインはしばらく身を竦ませていたが、気がつけばどこにも痛みは感じない。
ゆっくりと目を開くと、後ろの方から小石ほどの破片が転がってくるのが俯いた視界に映る。
よく見ると、それはべっとりと血で濡れ、点々と赤い筋を地面へと残していた。
「……!!」
弾かれたように振り返り、血痕を辿る。
滴る鮮血がぽたぽたと地を打ち続ける、その上にシローの姿があった。
「シロー……さん……!?」
「――おう、無事か」
キャロラインの方を向いたシローの額はぱっくりと割れ、そこから幾筋もの血が流れている。右の上腕も、同様に傷が口を開けていた。足元には、まだらに赤く染まった大小の岩の破片。
シローが今いるのは、確かにキャロラインがさっきまで立っていた場所に違いない。
つまり、彼は自分を庇ったのだ。天井から降り注ぐ、あの凶器の雨に身を晒して。
数瞬の後、キャロラインはようやく自分の役目を思い出していた。
「早く……手当てしなきゃ……」
よろよろとシローの元に歩み寄り、安全な場所に彼を座らせて傍らに腰を下ろす。
その間もキャロラインの両手は小刻みに震え、鞄から薬を取り出そうとするのもおぼつかなかった。
――こうなったのも私のせいなんだから!
自らを叱咤しつつ、傷の消毒を行い、止血を施し、清潔な布を当てて包帯を巻く。
必死の思いで応急処置を終えた時には、キャロラインの視界はすっかり潤んでいた。
「本当に……ごめんなさい……私、迷惑ばかり……」
搾り出した声とともに、両の瞳からぽろぽろと涙が零れ落ちる。
――仮にも看護師を目指す者が、自ら怪我人を増やす原因になってしまうなんて。
たまらなく悲しく、悔しく、そして――許せなかった。
これでは、ただの足手纏いではないか。彼らを責める資格など、どこにもありはしない。
「お……おい……泣くな」
驚いたように声をかけてくるシローをよそに、ただ泣き続けることしかできないキャロライン。
そんな時、今まで沈黙を保っていたヴィヴィオが不意に舌打ちした。

「ち……しょーがねーな……」
頭を軽くかきながら呟き、涙に濡れた顔で呆然とするキャロラインの前に立つ。
「お前さぁ、遠慮しすぎなんじゃねぇ?」
意外にも、ヴィヴィオの口調は穏やかだった。
「……え?」
いつも通りの、眉を顰めた仏頂面。でも――そこには人を拒絶する冷たさはない。
傍らのシローを指しつつ、ヴィヴィオは早口で言葉を続ける。
「確かに、こいつが怪我したのはお前を助けたからかもしれねーけどよ、
 その傷の手当てをしたのもお前だろ? それでチャラ、貸し借りナシだろーが」
「……でも、私……戦えないし。みんなの足手纏いに……」
キャロラインが言うと、ヴィヴィオは大仰に溜め息をついてみせた。
「勘違いしてんじゃねーよ。それぞれの役割ってもんがあるだろが。 
 お前が戦えなくても、そんなもんはこの馬鹿が勝手に暴れてくれらぁ」 
「……人を野蛮人みたいに言うな、傷付くじゃないか」
「そんな繊細なタマかよ。いーから黙ってやがれ」
軽口を叩いてくるシローを横目で睨み、再びキャロラインへと向き直る。
「ともかくだ……お前は必要とされてんだよ。
 考えてみろ、お前がいなかったら誰が皆の傷を診るんだ? ちったぁ自信持て」

まさか、ヴィヴィオにこんなことを言われるとは思ってもみなかった。
ずっと蟠っていたものが、どんどん流れ落ちていくのがわかる。
涙を拭くことも忘れてヴィヴィオをただ見つめていると、彼はやがて堪りかねたように横を向いてしまった。
「……ち、何で俺様がこんな事言わなきゃなんねーんだ!?」
誰にともなく言いながら、洞窟の壁を蹴るヴィヴィオ。
「そう照れるな少年」
意地の悪い笑みを浮かべてからかうシローに、彼は顔を赤くして怒鳴った。
「うるせー! だいたいな、お前がもっとしっかりしてりゃーこんな事……!」
そんなヴィヴィオを軽く受け流し、シローがキャロラインに声をかける。
「……まあ、そういうこった。もう気にするな」
その言葉を聞き、彼女は今までの自分を心底恥じた。
彼らの心配りが足りなかったのではなく、それに気づく事ができなかっただけなのだ。
――ローラ、ごめん……。あなたの言うとおりだったね。
心の中で友達に詫びた時、ヴィヴィオが不貞腐れた口調のまま出発を促した。
「……おい、とっとと行こーぜ。こんな所、さっさと出たいからな」
その声に、シローも頷きながらキャロラインの方を見る。
「そうだな。……立てるか?」
キャロラインは慌てて立ち上がると、服の埃を払い、涙を拭いて大きく答えた。
「……はい、大丈夫です!」
自然と、笑みがこぼれる。
足踏みを続けていた自分が、やっと一歩前に踏み出すことができたのだ。
相変らず洞窟は暗く、その道はどこに続いているかもわからない。それでも、もうキャロラインは絶望してはいなかった。
彼女には、仲間がいるのだから。――頼もしく、優しい男たちが。

7.安心できる場所

洞窟の中を、三人はランタンの灯りを頼りに注意深く歩いていった。
足元が滑るため思うようにはいかないが、一歩ずつ確実に足を進めていく。
途中でナメクジや蝙蝠の群れにも遭遇したが、それらは悉くシロー達の手によって撃退された。
当然ながら、その度に増えていく彼らの傷を診るのはキャロラインの役目だ。
もう、二人を怖いとは思わない。大した事はないとかぶりを振る男たちを、叱ることすらできるようになった。そんな時、彼らが子供のように目を丸くするのが何だか可笑しい。

障害を乗り越えていくにつれ、キャロラインの心に一つの考えが浮かぶ。
自分も、ずっとこのような暗闇の中にいたのかもしれない。
これまでは、恐れて立ち止まっていた。それどころか、後退しようとすらしていた。
今も、真っ暗な場所にいるのは同じ。悩みも、全部消えたわけではない。
それでも――少しずつ、手探りで前に進んでいる。

そして、“手探りで進むものたち”という、パーティ名に込められた意味を思った。
スラーヴァが言っていたのは、こういうことだったのだろうか? ……と。
考えながらも、必死に足を動かしていく。
そんな時、先頭を歩いていたシローが不意に立ち止まった。
「……どうかしたんですか?」
声をかけるキャロラインに、彼は前方の岩壁を指差す。
「あれ、見てみろ」
そこには、白いチョークで文字と矢印が書かれていた。

――外で待ってる。矢印を辿ってきてくれ S&L

「これ……スラーヴァの字……!」
「だな。これで何とかなるだろ」
「うし、そうと決まったら急ごうぜ」
顔を見合わせて頷き合うと、三人は再び前に進み出した。
点々と続く矢印を順に辿り、さらに二十分ほど歩いただろうか?
キャロラインの足が棒になりかけた頃、ようやく前方に光が見えてきた。
「やっと、外かよ……」
背後から、ぐったりとしたヴィヴィオのぼやきが聞こえる。
キャロラインは微笑みながら振り返ると、彼を大きな声で励ました。
「あと少しですよ、頑張りましょう!」


外に出た三人を、スラーヴァとローラが喜んで迎えた。
「良かったぁ……無事だったんですねぇ。心配したんですよぉ〜」
ローラが、安堵の表情を浮かべてキャロラインに抱きつく。
「……ごめんね、心配かけちゃって」
身長差が大きいため、ローラは長身を精一杯に屈めていた。
いつもより小さく見える彼女の頭を、そっと撫でる。
「地震で道が崩れてたからね、他の道を探すしかないだろうと思って
 ローラと二人で目印をつけて回っていたんだ。
 もう少し遅かったらまた探しにいこうと思ってたのだけれど、
 何とか出てこられたみたいで良かったよ」
微笑ってキャロラインたちを眺めていたスラーヴァだったが、そこまで言った後、ふとシローに視線を移して眉を曇らせた。
「シロー? ……その怪我は?」
視線は、彼の額に巻かれた包帯に向けられている。
「その……それは私が……」
申し訳無さから口を開きかけた時、その言葉を遮るようにヴィヴィオが言った。
「あー、こいつ馬鹿だからまた転びやがったんだよ。
 ま、多少頭打ってもこれ以上悪くはならねーと思うけどな」
「……誰に言ってんだこのクソガキ」
シローはヴィヴィオを横目で睨むと、なおも心配そうなスラーヴァに軽く肩を竦めた。
「ま、大したこたぁねぇさ」
「そうかい? キャロラインが手当てしているだろうから
 大丈夫だとは思うけれど、念のため後で治しておこうか」
「ああ、頼む」
スラーヴァは医術の心得こそないものの、傷を癒す神聖魔法を使うことができる。
キャロラインが応急処置を施した後、怪我の程度に合わせてそれを用いる事で、回復をかなり早められるのだ。
「いえ……あの」
「――いーんだよ別に。あいつだって、気にすんなって言ったろ」
さらに何かを言おうとするキャロラインを、ヴィヴィオが小声でやんわり制する。
そっけない言葉に隠れた優しさが、今度ははっきりと感じられた。
「ありがとう……」
お礼を言っても、すぐにぷいと横を向いてしまうヴィヴィオ。その態度も、今は照れているのだとわかる。
キャロラインが思わず微笑んだ時、スラーヴァが全員へ向けて口を開いた。
「さて、今日はここで休もうか。みんな疲れてるだろうし、シローの怪我もあるからね。
 また明日、万全の体制で臨むことにしよう」
その提案に、全員が思わず安堵の溜息を漏らす。
とてもじゃないが、これから洞窟に入って水を取ってくる元気など残ってはいない。
「ああ、そうしよーぜ。あぁ……だりー、もう動けねぇー!」
ヴィヴィオなど、言うが早いがその場にどっかりと座り込んでしまった。
そんな彼に微笑みつつ、キャロラインも後に続いて腰を下ろす。
ふと見上げた空は高く、どこまでも青い。
流れる雲を眺め、明日の冒険へと思いを馳せる。

例え何が待ち受けていようとも、怖いものは何もない。
頼もしい仲間たちがついている。自分の果たすべき役割もある。
互いに支え合うことができるって、何て素晴らしいのだろう。
“手探りで進む者たち”――パーティという安らげる居場所を、キャロラインはようやく得ることができたのだ。

――明日、また頑張ろう。みんなと一緒に……。
心地よい疲労感が体を包み、やがて彼女をゆっくりと眠りへ誘っていった。


〔執筆者あとがき〕

ゲーム中で実際に存在する、『試練の洞窟』というクエストを元にしたエピソードです。
プロローグと異なり、基本となる大元の世界観(クエストの背景)と、クエストを遊んだ際の冒険結果(ゲームデータ)があったので、書くのは比較的楽でした。

中盤のシロー転倒シーンなどは、ほとんどそのまま再現していますし、他の部分も、参考にさせていただいた箇所はかなりの数に上ります。
私自身も執筆に慣れて、キャラクターがより自然に動いてくれるようになりました。

今回はキャロラインの“男性恐怖症”という設定に目をつけ、アクの強い男性陣(シローとヴィヴィオ)と、どう打ち解けていくかを軸に展開を組み立てています。
裏目裏目に転んでいく状況に書き手すらヤキモキしつつ、何とかハッピーエンドまで辿りつくことができました。

この後、キャロラインは急速にパーティに馴染んでいきます。
無用な遠慮をすることのなくなった彼女にもはや怖いものはなく、やがてはシローに対しても躊躇せず怒鳴りつけるように……。
現在において、キャロラインが“パーティ最強”と呼ばれる所以です。