ファンタジーな100のお題 05 呪い |
AkiRa(E-No.633PL)作 |
2004/12 |
呪い |
〔執筆者あとがき〕 |
呪い |
「それでね、コウイチのアニキがさ……」 黒髪にバンダナを巻きつけた青年が、明るい声を室内へと響かせていた。 髪と同じ漆黒の瞳は少年のように澄んだ輝きを放ち、ティーカップを持ったままの手が、彼が発する言葉の調子に合わせてくるくると動く。 心底嬉しそうに仲間のことを語るその様子は、テーブルを挟んで話を聞くスラーヴァの心をも和ませた。 青年の名は“魁 瀝龍”(さきがけ れきりゅう)――スラーヴァは、彼をリュウと呼んでいる。 最近になって知り合った冒険者パーティ“黄金の鍵”(レクレドール)の前衛を務める戦士で、年齢は先日二十歳の誕生日を迎えたばかり。 人柄は温厚かつ快活で、常に笑顔を絶やすことがないので皆に好かれていた。 スラーヴァとは、共にパーティで仲間を守る立場にあるということで意気投合し、今ではこうやって茶飲み話をする仲である。 しばらく談笑を続けていると、リュウがふとスラーヴァの手元に視線を移した。 「あ、お茶のおかわりいるよね?」 目を向けると、ティーカップはすっかり空になっている。話に夢中になって、まったく気付いていなかったのだ。 「――それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」 「いいよ。ちょっと待っててね」 スラーヴァの言葉に笑顔で頷き、素早く台所へ向かってケトルを火にかけるリュウ。 ここは“黄金の鍵”が拠点にしている家で、パーティのメンバーが全員でこれを管理している。 つまりスラーヴァは客にあたるわけだが、リュウが台所に立つのはそればかりが理由ではない。 もともと、こういったことによく気がつく性分なのだ。 やがて湯が沸くと、彼は手馴れた様子で紅茶を淹れ始めた。 「はい」 「ありがとう」 差し出されたティーカップを受け取り、軽く礼を述べるスラーヴァ。 淹れたての紅茶の良い香りが、鼻腔をくすぐる。 スラーヴァがそれをひとしきり味わった後、リュウが思い出したように呟いた。 「……そうだ」 「ん?」 「スラーヴァ、まだ時間とか大丈夫? そんなに時間はかからないと思うんだけど……」 何か話したそうな言葉。彼の口調からは、それが重要な話であることが窺える。 スラーヴァは、一旦窓の方へと目を向けた。 外はすっかり暗くなっていたが、仲間には今日出かける旨はきちんと伝えてある。 あと少しくらい帰りが遅くなったところで、そこまで心配をかけることはないだろう。 「平気だよ。急ぎの用はないから」 スラーヴァがそう答えると、リュウは顔を上げて彼の目を真っ直ぐに見た。 「オレに兄貴がいたってこと、この前ちょっと話したよね」 「――ああ」 その時のことは、スラーヴァもまだ記憶に新しい。 つい先日、彼がこの家を訪れた際に、リュウがふと漏らした一言。 “死んだ兄貴との約束を果たせなかった”――暗い瞳でそう呟いた彼の表情が、やけに印象に残っている。 スラーヴァがリュウを見返すと、彼はほんの少し逡巡した後、小さな声で問いかけた。 「その時の話……ちょっと聞いてくれる?」 「うん、俺で良ければ」 答えた後、無意識に姿勢を正す。 ややあって、リュウはゆっくりと口を開き始めた。 「――兄貴は、真っ赤なドラゴニアンだったんだ。で、冒険者だった」 ドラゴニアンは俗に竜人と呼ばれる種族で、この大陸では人間と同様の生活を営んでいる。 本来は爬虫類に似た外見を持つらしいのだが、中には人間と区別がつかない者も少なくはない――リュウが、まさにその良い例だ。 そんな彼の兄ともなれば、普通は人型であるのが当然と思える。 だが、この時スラーヴァの脳裏に浮かんだのは、赤い鱗を持つ雄々しき竜人の姿だった。 何故そう感じたのかは、よくわからない。 「結構強かったんだと思う。少なくとも、オレの倍は強かったよ。 それで、大陸の異変がどうのこうのって、調べてたらしいんだけど……」 リュウの言葉の端々からは、亡き兄に対する敬愛の念が滲んでいた。 兄の存在が彼の誇りであっただろうことは、容易に想像がつく。 「こん時、オレは料亭で見習いやってたんだ。 それで、食材を取りに行った時……魔物に襲われちゃったんだ」 ここまで言った後、リュウは口を閉ざして視線を落とした。 表情に、自嘲とも思える苦いものが混じる。 「オレときたら、もうボロボロでさ。全然弱かったし、バトルの才能なんてなかった。 ひたすら逃げ回ってたら、どっかから出てきた兄貴がオレのことかばってくれた」 「それで……お兄さんは……?」 問いかけた口調とは裏腹に、スラーヴァには既に話の続きが予想できていた。 リュウの暗い瞳の色が、言葉よりも先に事実を語っている。 「兄貴は強かったから、もちろん勝ったよ。でも、最初の一発の当たり所が悪くて……」 つまり、彼はリュウの身代わりとなって命を落としたのだ。 やはりと思うと同時に、針を刺すような痛みがスラーヴァの胸をついた。 自分のために他者が傷つくことは辛い。それが、愛する家族ならば尚更のことだろう。 思わず目を伏せるスラーヴァをよそに、リュウの告白はいよいよ核心に迫ろうとしていた。 「――兄貴との最後の約束は、『兄貴の彼女を守ること』だったんだ」 スラーヴァが再び顔を上げると、沈痛な面持ちで俯くリュウの姿。 彼の瞳は、過去を覗き込むかのように遠くへ向けられている。 「キレイな人だったよ。だけど、名前は思い出せない。 ……ううん、思い出したくないだけなのかもしれない……」 今にも消え入りそうな声は、どこまでも痛みに満ちていた。 「しばらく、恋人の真似事みたいなことしてた。 別に、愛してなんかなかったのに…… 守るためだからって、婚約まで取りつけて。……最低だよ」 「……」 苦しげに表情を歪めるリュウの顔を見て、スラーヴァの頭に一つの仮説が浮かぶ。 リュウは、兄になりたかったのではないか。 兄の愛した女性を守り、彼女の隣にいることで、彼に近付こうとしたのではないだろうか? しかし―― 「でもやっぱり、そんなのダメだと思った。ナシにしようって言ったんだ。 ずっとそばにいるから、他の人を見つけて……って」 続くリュウの言葉に、ああ、やはり、と思う。 人は、決して別の誰かの代わりになどなれないのだ。 その対象が、敬愛する兄であれば尚更のこと――埋められないギャップを前に、独り苦しんだに違いない。 「それで……その人は、何て?」 スラーヴァの問いに、テーブルの上に置かれたリュウの両拳が固く握り締められる。 やがて、彼は震えた声で残酷な結末を告げた。 「次の日、彼女は死んでた。……首を吊ったんだ」 「……!」 その女性がリュウを愛していたのかどうか、スラーヴァには知る術はない。 しかし、恋人を失った彼女にとって、リュウはおそらく唯一の心の支えだったのだろう。 そんな彼に別れを告げられたことで、完全に独りになってしまったと感じたのかもしれない。 自ら死を選んでしまった女性の哀しみと、そう追い込んでしまったリュウの苦しみ。 いずれも、考えるだけで胸が締めつけられそうになる。 「バチが当たったんだと思う。突然、オレは人間みたいな姿になっちゃった。 兄貴が調べてた、異変ってやつだと思う」 リュウのその言葉で、スラーヴァは初めて彼が本来の姿でないことを知った。 そういえば、竜の姿になれるのは戦いの時だけなのだと、以前に聞いた覚えがある。 そして、大陸に起こりつつある異変――それは、万象を司る精霊力の均衡が崩れたことによる、新たな災厄だった。 何しろ、壊れようとしているのは世界の法則そのものなのだ。いつ、何にどのような変化が訪れるのか、誰にもわからない。 リュウが竜たる証を失ったのは、その片鱗によるものであったのだろうか。 ――まるで、呪いのようだ。 あまりに過酷なタイミングで組み合わさってしまった運命の歯車を思い、スラーヴァはそんな事を考える。 「原因を調べるために旅に出て……しばらく訓練所に通って剣を習ってたんだ。 そんなある日、ギルドでネェちゃんとコウイチのアニキを見つけたんだ」 それが、リュウと“黄金の鍵”との出会いだった。 いつも傍らにペンギンを連れている青年・コウイチと、“ネェちゃん”とリュウが呼ぶ女性、セーリオン・キア。 彼らが仲間を募集する張り紙をしているところを、丁度見かけたのだという。 「二人とも真っ赤な髪だったから、なんとなく兄貴を思い出して。 ……守ろうって、そう思ったんだ。 ネェちゃんの方は、彼女も重なってたかな……年上の女の人、ってだけだったけど」 脳裏に、二人の鮮やかな赤毛と、キアの人懐こい笑顔が浮かぶ。 「約束は、まだ生きているんだね」 スラーヴァの言葉に、リュウは小さく頷いた。 「……うん。だから――ココのことも、いいのかなって思ってる」 ココット・クライアージュ――“黄金の鍵”の一員にして、現在のリュウが一番守りたいと願っているはずの少女。 その彼女の名を口にする時、リュウの瞳には複雑な光が揺れていた。 愛情と希望、罪悪感と後悔。相反する感情のうねりに、翻弄されるかのように。 「ココのことは好きだよ。 けど、オレはきっと、幸せになっちゃダメなんだ。だから……迷ってる」 リュウの姿に、スラーヴァはいつしか自分を重ねていた。 自らの無力から、大切な人を失ったこと。 守るべき者を追い詰め、取り返しのつかない傷を負わせたこと。 過去を償うため、新たに誰かを守ろうと思ったこと。 そして――十字架を背負うがゆえに、幸福を手にするのを恐れていること。 すべてが、これまでスラーヴァを苛んできた痛みの一部だった。 境遇は違えど、リュウの抱える心の闇はスラーヴァのそれと驚くほどよく似ている。 だからこそ、ここまで気が合ったのかもしれない。 たとえお互いに意識していなかったとしても、自分と同じものをどこかに感じていたのだろう。 スラーヴァはリュウに向けて口を開こうとし、一旦思い止まった。 下手をすれば、傷の舐め合いになるだけだ。そんなものは、何の解決にもならない。 しかし、同時に逃げてはいけない気もしていた。自らの過去から――何よりも、これから進むはずの未来から。 リュウを通して、もう一度自分自身と向き合おう。決別と、新たな出発のために。 ややあって、スラーヴァは覚悟を決めた。 「……あのさ、リュウ。ちょっと長くなるかもしれないけれど…… 良かったら、俺の話も聞いてもらえるかな?」 リュウは一瞬驚いたように顔を上げたが、その直後、迷うことなく頷いた。 「うん、聞くよ。どれだけ長くなっても、聞くよ」 意を決しはしたものの、実際にそれを語り始めるには多少の時間が必要だった。 深呼吸を数回繰り返し、気を静める。 その後ようやく、スラーヴァは自らの過去を語り始めた。 「――俺には、双子の妹がいるんだ」 「スラーヴァ……双子、だったんだ?」 「うん、顔なんかそっくりでね。小さい頃に両親を亡くしてからというもの、 ずっとお互いだけが頼りだった」 話しながら、スラーヴァの視線は無意識に窓の方へと向かう。 闇の中でガラスに映りこむ自分の姿は、妹とまったく同じ顔をしていた。 「そっか……いないんだね、親……」 「ああ」 「妹さんも、冒険者なの?」 リュウの問いに、スラーヴァは首を横に振る。 「妹は……今どこにいて、何をしてるかはまったくわからないんだ。 でも、たぶん……俺のことを恨んでいると思う」 その言葉を聞いて、リュウがぎょっとした表情を見せた。 「う、恨んでる……?」 無言で頷きつつ、次に語るべき言葉を探す。 胸の奥が、ちりちりと燻るような痛みを訴え始めていた。 「……さっき、親がいないって言ったよね。――殺されたんだ」 「えっ!?」 大きな声を上げた直後、慌てて口を押さえるリュウ。 スラーヴァは、構わず続けた。 ここで止まってしまったら、もうこの話を語れなくなる気がする。 そんな強迫観念にも似た思いが、スラーヴァを饒舌にさせた。 「俺が生まれたのはアムドゥシアスの辺境でね。 両親を殺したのは、そこを治めていた領主だった」 「領主……そんな偉い人が、どうして?」 「そいつは慈善家として通っていてね。その一環として、 身寄りのない子供たちを引き取っていたんだ。 でも、それは表向きだけのこと……あいつにとっては、 子供はいたぶって遊ぶための玩具――生きた人形に過ぎなかった」 「に、人形だなんて――そんなのって、あんまりだよ……」 まるで自分のことのように、リュウが悲痛な声を上げる。 彼は感受性が強い。他人の痛みを、敏感に感じ取ってしまう性質なのだ。 そんなリュウにとって、これは残酷な告白かもしれない。 それでも、スラーヴァは語るのをやめるわけにいかなかった。 「ある時、あいつは俺たち双子に目をつけた。 でも、俺たちにはきちんと両親がいたから、引き取る理由がない。 だから、その口実を作ったんだ」 「口実って……まさか!」 自らの想像に慄くが如く、表情を強張らせるリュウ。 スラーヴァは、ただ無表情に頷きを返した。 今だけは、全ての感情を排する。そうしようと、自らに言い聞かせていたのだ。 「あいつは俺の両親を事故に見せかけて殺したんだ。 俺たち双子を、自分のコレクションに加えるためにね。 そして――その結果が、これさ」 言いながら、自らの服の裾を少したくし上げる。リュウが、大きく息を呑んだ。 スラーヴァが見せたのは、彼の全身に残る虐待の傷痕。忌まわしき過去の象徴だった。 「ひどい生活だったよ。あらゆる手を使って責め抜かれ、 俺は……時に女としてすら扱われた」 スラーヴァは淡々と言ったつもりだったが、それでも声に苦渋の色が混じるのは抑え切れなかった。 その言葉の意味を、リュウはすぐさま理解したのだろう。目を大きく見開き、衝撃に声を失っていた。 「――っ!」 脳裏に、あの屈辱の日々がよぎる。 腹の底からどす黒い感情が湧き上がりそうになるのを、スラーヴァは必死で耐えた。 ひとつ息を吐き出し、ようやく次の言葉を紡ぐ。 「そんな地獄の日々が終わったのは、十二歳の時だった。 住んでいた屋敷が火事になってね……。 俺は、運良く冒険者に助けられたんだ」 「それじゃあ、妹さんたちも……?」 首を横に振り、目を伏せるスラーヴァ。 眼前に、あの時の光景が悪夢のように蘇る。搾り出した声は、微かに震えていた。 「助かったのは俺一人だけだった。 俺は……妹たちが炎の中に取り残されているのを知りながら、 何もできなかったんだ……ただ、震えて見ていることしか……」 炎の幻影から逃れるべく、スラーヴァは一旦言葉を区切って目を閉じる。 瞼を開くと、リュウが気遣わしげな表情でこちらを窺っていた。 「――ごく最近になって、妹が生きていたことを知った。 この八年間、彼女はどこで何をしていたと思う?」 「……」 「あの領主のもとで、地獄の苦しみに耐えていたんだ。 俺がセレナイトの教会に引き取られ、のうのうと幸せに暮らしている間、 妹はずっと独りで取り残されていた。 そして俺は、それに気づこうとすらしなかったんだ。 あいつにとっては、いくら憎んでも足りないほど許せない人間だと思う……」 「……スラーヴァは、悪くないよ……」 悲しげなリュウの声が、スラーヴァの言葉に重ねられる。 その優しさに触れ、ほんの少しだけ笑うことができた。 「ありがとう……でもね、これが俺の罪なんだ」 リュウに礼を言うとともに、スラーヴァは自らに言い聞かせていた。 ――決して、逃げてはいけないのだと。 リュウはしばらく黙ってスラーヴァを見つめていたが、ややあって再び口を開いた。 「そして……その後は、どうなったの?」 「色々とあって、その領主は死んだんだ。 妹とは、その時に離れ離れになって、それきり会っていない……」 「だけど……良かったんだよね? 妹さんは自由になれたんだろ?」 救いを求めるように、恐る恐る問いかけるリュウ。 「でも、だからといって俺のしたことが許されるわけじゃない。 俺は妹を見殺しにして……地獄に置き去りにしたんだ」 毅然としたスラーヴァの答えに、リュウの表情が沈む。 彼がでも、と食い下がろうとした時、スラーヴァは幾分柔らかい口調でこう付け加えた。 「リュウが幸せになる資格がないって言うなら、それは俺だって同じだよ。 でも……後ろばかり見ていても、何も変わらないんだ。 それを、仲間が教えてくれた……」 「……」 時に励まし、時に叱り、自分を支えてくれた仲間たち。 彼らの存在があったからこそ、スラーヴァは誓うことができたのだ。 「俺はね、たった一つだけ自分に許したことがあるんだ」 「許した……こと?」 リュウの漆黒の瞳を、真っ直ぐに見る。もう、迷いはない。 スラーヴァは、大きく頷いた。 「ああ。“盾”になること――大切な人たちを、守り続けることをね」 「……守り……続けること……」 「そのために、全てを懸けるって決めたんだ。 たとえ、それが罪深いことであっても…… 無力な自分のまま、甘えていたくはなかったから」 そう、自分は盾なのだ。 それがどんなに小さく、頼りないものだとしても。 汚れ、傷つき罵られようと――誰かの前に、立つことはできるのだから。 「――だからさ。リュウも、自分に許していいんじゃないかな。 ココさんや、“黄金の鍵”のみんなを守ることをね」 スラーヴァが言うと、リュウは俯いて遠慮がちに口を開いた。 「……オレも、少し前まで“盾”になりたいって言ってたんだ。 でも……ほら、オレ弱いから……思い直すことにした」 「……リュウ」 思わず、強い口調になりかけたスラーヴァだったが、続く言葉は当のリュウに遮られる。 「“盾”じゃなくても……土鍋の蓋とか、そんなんでいいから、 戦いのとき、みんなの代わりにぶん殴られよう、って」 スラーヴァは、この言葉が聞きたかったのだ。 いつしか力を取り戻していたリュウの顔を眺めながら、満足して頷く。 「その気持ちこそが、“盾”の証なんじゃないかな……リュウ」 リュウは一瞬驚いたように目を見開いた後、ゆっくりと喜びの表情を浮かべた。 「ありがとスラーヴァ。決心ついたよ……本当に……」 その時、窓の外から唐突に歌が聞こえてきた。 歌っているのはどうやら若い男で、酔っ払っているのだろうか、ところどころ調子が外れている。 二人が呆気に取られている隙に、それは遠ざかって夜の静寂へと消えた。 「な、何!? 今の酔っ払い!?」 「……?」 夜も更けてきたとはいえ、まだ、酔漢が表の通りを徘徊するような時刻ではない。 スラーヴァには、声の主にひとつ心当たりがあった。 同業者であり、共通の友人でもある人物。酒と女を、心より愛してやまない男。 大方、リュウをからかいにでも来て偶然話を聞いてしまったのだろう。 あの歌は、彼なりの激励であったのではないか。 「な、何だったんだ……?」 「――さあ、ね」 呆然と呟くリュウに微笑みつつ、スラーヴァは心の中で礼を述べた。 ――ありがとう……アル。 直接伝えようにも、彼はきっと白を切るに違いない。 あの年上の友人には、そんな不器用な優しさがあった。 やがて室内に静寂が戻ると、リュウがはっとした表情で顔を上げた。 「……あ、あとね。思い出したんだ」 「ん、何だい?」 「彼女の名前。――『カラン』っていうんだよ」 そう言って、リュウはテーブルに『華鸞』と指で複雑な文字をなぞった。 スラーヴァにはその意味までは読み取れなかったが、描かれたそれを純粋に美しいと思った。 言葉の響きを確かめるように、リュウがもう一度「カラン」と復唱する。 ゆっくりと、彼の顔にいつもの明るい笑みがこぼれた。 「やっと思い出せた。スラーヴァのおかげだよ!」 歓喜に瞳を輝かせて、リュウがスラーヴァを見る。 彼は、失った過去を取り戻したのだ。自らの傷と十字架に、真っ直ぐ立ち向かうことによって。 ――もう大丈夫だ。 確信とともに、スラーヴァの口元にも微笑みが浮かぶ。 「――それは……良かった」 答えると、リュウは再び相好を崩し、はっきりと明るい声で言った。 「なんかもう、嬉しくてどうお礼言っていいのかどうかわかんないよ……。 本当にありがと、スラーヴァ!」 ややあって、スラーヴァは夜の市街を一人で歩いていた。 丸い月を見上げつつ、先ほどの会話を思い返す。 家族同然ともいえるパーティの仲間を除いて、自分の過去を語ったのはこれが初めてのことだ。 今までのスラーヴァであれば、到底考えられなかった行動だろう。 それは、自らの魂が汚された記憶、刻まれた、消せない呪いであったのだから。 正直、話すことが怖かった。告白することで、リュウが自分を見る目が変わるのではと、恐れていた。 真実を偽ろうとする自分は醜く、卑怯だと思う。 しかし、スラーヴァがそう打ち明けた時、リュウは彼を軽蔑したりはしなかった。 ――だって、何があろうがスラーヴァはスラーヴァなんだから! その言葉に、どんなに救われたかわからない。 リュウは今日のことで篤く感謝してくれていたが、そうすべきはむしろ自分の方だろうと、スラーヴァは思う。 そう、人はどんなに否定しようとも、自分であり続けることをやめることはできない。 汚泥にまみれていようと、醜い傷が残されていようと、それらは全て、自らの一部に違いないのだ。 罪の十字架から目を背けることなく、受け止めて前に進む――それこそが、呪いを克服するたった一つの方法なのだと、今なら言うことができる。 そして、リュウが近いうちにそれを成し遂げるであろうことを、スラーヴァは少しも疑ってはいなかった。 「負けていられないな――俺も」 これから、自らに課せられた戦いを思い、決意とともにそっと呟く。 柔らかな月明かりが、どこまでも暖かく道を照らしていた。 |
〔執筆者あとがき〕 |
ファンブラーズと交流させていただいているパーティ“レクレドール”。 そこで盾として前衛を勤める魁 瀝龍(リュウ)様(E-No.3502)を、今回はゲストとしてお迎えしてみました。 元になったエピソードは“レクレドール”のPTチャットでのログで、台詞はほとんどそこから引用させていただいております。 そういう意味ではかなり楽なはずだったのですが、小説としてまとめるのに想像以上の時間がかかってしまいました。 やはり、忙しさにかまけて執筆を怠っていたツケが来たということでしょうか。 スラーヴァとリュウ、二人の“盾”のそれぞれの戦う理由。それを、少しでも読者の皆様に伝えられたら、と願って書かせていただきました。 最後となりましたが、この場を借りて、今回(名前も含めて)ご登場いただいた方々に心よりお礼申し上げます。 |