ファンタジーな100のお題
46 足跡
AkiRa(E-No.633PL)作
2004/03


足跡
〔執筆者あとがき〕


足跡

最初に聞こえてきたのは、波の音だった。
遠く近く、静かに流れるリズムが耳に心地よい。
ほのかに香るのは、潮の匂い。

瞼を開くと、一面に光が広がった。
眩しさに目を細めつつも、その視界に目的のものを探す。
窓の外に、どこまでも続く青い海があった。

「目が覚めたかい?」

振り返ると、戸口に一人の女が立っていた。
歳の頃は三十代後半といったところだろうか。取りたてて美人ではないが、大きすぎる瞳がやけに印象的に映る。

「あんた、あの海岸に打ち上げられていたんだよ。身投げでもするつもりだったのかい?」
「……俺が、か?」

女の言葉に、男は初めて口を開いた。
同時に、目を覚ます以前の記憶を呼び起こそうとする。
しかし――出てくるのは果てしなく続く闇ばかりであった。

「すまない、わからないんだ」
「……?」

怪訝そうな女に、男は曖昧な笑みを返して言う。一体何の冗談かと思われているかもしれない。

「……どうやら、俺はあの海に過去を全部落っことして来ちまったらしい。
 自分の名前すら、全く思い出すことができない……」

女は男の顔をまじまじと見ると、やがて得心したように頷いた。

「なるほどね、記憶喪失ってわけだ。
 ま、何があったかは知らないけれど、ゆっくりしていきなよ。
 そのうち思い出せるかもしれないしさ」
「ありがとう、そうさせてもらう。
 ……そう言えば、あんたが俺を助けてくれたのかい?」

男の言葉に、女は軽く肩をすくめて答えた。

「ここに運んだのは村の男衆だよ。
 あたしの腕で、どうやってあんたの図体を運ぶっていうのさ?」

言われて、男は自分の体を見渡す。
――なるほど、確かに随分逞しい体つきをしている。身長も、かなり高い方だろう。
その様子が滑稽に映ったのだろうか、女はくすりと笑うと再び扉に手をかけた。

「待ってな、今食事でも運んでやるよ。話の続きは、それからさ。
 そうそう、あんたの持ち物はそこにまとめて置いてあるから。
 一緒に流れ着いていたんだ――もしかしたら、何かの手がかりになるかもね」

女が指差した先。そこに、簡素な衣服と一振りの剣があった。


女が去ったあと、男はまず剣を取ってみた。
まるで吸いつくように、しっかりと手に馴染む。自分の得物に違いない。
よく見ると、衣服も旅人がよく着用する丈夫なものだ。
鍛えられた肉体といい、戦士であることは疑いようが無いだろう。

あとは何故、記憶を失い海岸に流れ着いたのか……?
男は残る疑問に考えを巡らしたが、すぐにそれを止めてしまった。

忘れてしまったものは仕方がない。必要なら、いずれ思い出す日も来るだろう。
我ながらいい加減なものだとも思うが、少なくとも悲観的になるよりは随分とマシだろうと自らを納得させる。
――となると、さしあたり重要なのはこれからどうするか、だ。
男の思考はふと、扉の開く音と女の声に中断された。

「待たせたね。こんなものしかなくて悪いけれど、食べておくれよ」
「や、これはすまない」

剣を元の位置へと戻し、代わりに食事の乗った盆を受け取る。
献立自体はごく質素なものだったが、その暖かさが食欲を誘う。
なぜか、男にはそれが凄く新鮮な感覚に思えた。

「そういえば、自己紹介がまだだったね……あたしはルネ。
 ――よろしく、ランス」
「ランス?」

唐突に呼ばれた名前に、男は食事の手を止めて聞き返した。

「ランスロット。略してランス――気に入らないかい?」
「そういうわけじゃないが……またどうして」
男の問いに、女ールネは笑って答える。
「とりあえず、名前がないと不便だろう?
 ――まあ、死んじまった旦那の名前なんで、ちょっとばかり縁起は悪いけどね」
「いや、気に入ったよ」

ランスと名付けられた男は、もう一度心の中で自らの名を暗唱した。

――ランスロット。
しばらくは、これが俺の名前か。うん、悪くない。

ルネの振舞った暖かなスープとともに、その名は男の心へと染み渡っていった。


その数日後、ランスはルネに別れを告げた。
まだ記憶は戻らなかったが、いつまでも彼女の好意に甘えるわけにはいかない。
体もすっかり回復した。これから、あてのない旅にでも出ようかと思う。
幸い、自分には剣がある。
とりあえずは、旅人の用心棒か傭兵でもしようか。

流れ着いた砂浜を歩きながら、そんな事を考える。

「あんた、一体どこから来たんだろうねえ」

ふと、ルネの言葉が脳裏に聞こえてきた。
自分は一体どこから来て、そしてどこへ行こうとしているのだろう?

ランスは振り返ると、砂浜に点々と続く自らの足跡を見た。

「全てはここから……か」

たとえ過去に何も無くとも、今から進む道に足跡は残る。
失ったものなら、これから取り戻せばいいじゃないか。
そう考えた時、ランスの心はどこか軽くなった。

――さあ、まずはどこへ行こうか。

微笑しつつ、ランスは再び前へと歩き始める。
もう、後を振り返ることはなかった。


〔執筆者あとがき〕

ファンブラーズとも何かと関わりの深い、謎の中年騎士(?)ランスロット氏の始まりの物語です。
何と言いますか、前向きなキャラクターというのは書いていて気持ちが良いですね。

まだまだ謎の多いキャラクターではありますが、その魅力に少しでも迫る事ができていたら、と願っております。
彼の隠された過去については色々と構想があるのですが、それは見てのお楽しみということで……。